バンコクで開催されたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議(11月17~18日)を機に、3年ぶりの日中首脳会談が開催された。中国側は前回も習近平国家主席だったが、日本側は前回の安倍晋三首相に代わって岸田文雄首相。45分の会談時間だが、通訳を介するから実質は20分前後だろう。これでは、この3年間に溜まりに溜まった日中間の懸案を突っ込んで話し合うことは望むべくもない。
公式には「建設的で安定的な関係構築が謳われた」とされるが、岸田首相が提起した「核兵器使用反対」「尖閣や台湾海峡の平和と安定の重要性」に対し、どうやら習国家主席は最初から聞く耳を持ってはいなかったから、日本側からするなら「建設的」であろうはずもない。
「(岸田首相は)言うべきことは言った」から「すでに負けている:習近平を前に焦る岸田首相」まで、日中首脳会談における岸田首相の振る舞いに対してはさまざまな見解が伝えられるが、総じて余り芳しい評価は聞かれない。
内政問題処理に思わぬ時間を取られたことから事前調整の余裕もないままに〝ぶっつけ本番〟で会談に臨まねばならなかったとすれば、首相に同情の余地がないわけでもない。だが一連の外交日程は事前に定まっていただろうし、準備時間は十分にあったはずだ。
綻びが見えた「岸田外交」
11月中旬の数日間、プノンペン(カンボジア)での東アジア・サミット、バリ島(インドネシア)での20カ国・地域首脳会議(G20サミット)、バンコク(タイ)でのAPEC首脳会議と東南アジアを舞台にして国際会議が立て続けに開かれたが、「岸田外交」のお披露目とも言える東アジア・サミットで、岸田首相は米国や中国、さらにはロシアの代表団を前にして軍事的覇権拡大を続ける中国を名指しで非難している。
ここまでは問題はなかったようだが、14日にバリ島で米中両首脳による3時間に及ぶ会談が「政府間対話継続」で合意した辺りから、「外交の岸田」の雲行きが怪しくなってきた。名指しの中国非難から始まり米中首脳会談を経て「建設的で安定的な関係構築が謳われた」へと続く岸田首相のパフォーマンスが、外交的成算を巧みに織り込んでのものだったとも思えない。
13日のプノンペンからバリ島を経て17日のバンコクまでの僅か数日間に見られたチグハグな動きから判断するに、首相の外交手腕の綻びは否定しようもない。
このような岸田政権の対中外交におけるダッチロール状況は、やはり「考える力」と「決める力」を欠き「聞く力」に止まったままの岸田首相の個人的資質に由ると考えられる。他方で地理的にも日中関係の図式のなかで中国を捉えることに慣れてしまった日本の宿痾(しゅくあ)が起因しているとも考えられる。
そこで思い出すのが、雲南省をミャンマーとの国境に沿って歩いてみようと出掛けた2012年春の中国旅行である。