2022年10月5日(水)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年4月17日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

 中国の〝熱帯への進軍〟は、ウクライナ問題の動向に世界の耳目が注がれている間も止むことはない。習近平政権の東南アジア諸国連合(ASEAN)に対する浸透姿勢がこのままジワリジワリと続けば、前世紀半ばから70余年にわたって我が国官民が営々と築いてきた東南アジアとの結びつき――日本の外交的資産であり、日本経済の基盤――は齟齬を来し、国際社会における日本の立ち位置を現状より後退させる恐れは否定できそうにない。

中国の王毅外相がミャンマー軍が外相に任命したワナ・マウン・ルウィン氏と会談するなど、ASEAN諸国への影響力拡大を進めている(新華社/アフロ)

 「自由で開かれたインド太平洋」は、膨張する中国の影響力を最前線で受け止め押し返すために構想されたはずだが、東南アジアにおける中国の影響力の伸張ぶりからして、当初の狙い通りに機能することが出来るのか。首を傾げたくなる。むしろ中国の〝風圧〟によって東西に分断される可能性さえ考えられるのである。

 そうなった時、東南アジアにおける日本の活動空間も、これまでとは違ってくるだろう。

幻に終わった「安倍ドクトリン」

 2013年1月、前年末の自民党総裁選で逆転勝利し、政権返り咲きに成功した安倍晋三首相は、ベトナム・タイ・インドネシアを訪問した。最終訪問地のジャカルタにおいて「開かれた、海の恵み――日本外交の新たな5原則――」(首相演説)を発表し、「安倍ドクトリン」と呼ばれる新たなるアジア政策を明らかにするはずであった。

 アルジェリアで石化プロジェクトを建設中の日系企業が過激派によるテロ攻撃に巻き込まれたことから、首相は早々と帰国せざるをえなかった。予定通りに外交日程を消化し、自らの肉声で「安倍ドクトリン」を訴えることが出来ていたなら、日本外交の新たな展開と迎えられ、新政権の門出を飾るに相応しく内外から注目されていただろう。

 文書として発表された首相演説に拠れば、「安倍ドクトリン」は「万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとする」ことを目的とする。それというのも、アジアの海を「法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続ける」ことこそが「日本の国益」につながるからである。

 そこで「新しい決意」に沿って「日本外交の地平」を拡大するための原則として、次の5項目を掲げていた。
1.人類の普遍的価値である思想・表現・言論の自由の十全な実現
2.海洋における法とルールの支配の実現
3.自由でオープンな、互いに結び合った経済関係の実現
4.文化的なつながりの一層の充実
5.未来を担う世代の交流の促進

 おそらく安倍首相としては、1977年8月に福田赳夫首相(当時)が訪問先のマニラで発表した東南アジア外交3原則(通称「福田ドクトリン」)――①日本は軍事大国とならず世界の平和と繁栄に貢献する、②ASEAN各国と心と心の触れ合う信頼関係を構築する、③日本とASEANは対等のパートナーであり、日本はASEAN諸国の平和と繁栄に寄与する――を踏まえ、ASEANを含むこの地域の新しい国際環境に対応した外交方針として内外に明示することを目指したに違いない。

 ここで注目しておくべきは福田ドクトリンが打ち出されたのは毛沢東の死の1年後であり、鄧小平に率いられた中国が対外開放に踏み切る1年ほど前だということ。つまり中国は先行き不透明なうえに依然として国境を閉じたままであり、ASEAN諸国が近隣外交を進める上での具体的な選択肢は日本しかなかった。「福田ドクトリン」を掲げた時代、東南アジアの国際環境は日本外交を展開するうえで有利な条件に恵まれていたのである。

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