2024年2月25日(日)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年4月17日

 すでにバブル経済が破裂してはいたが、世界第2位の経済大国としての影響力を維持していたわけだから、メコン流域への援助など、当時の日本の財政規模からいえば小さかったに違いない。いわば、ドブに捨てたところで惜しくない、といったところだったろう。

 一方、香港返還を目前に控えていた中国は経済成長路線に密やかな自信を秘め、「ノーと言える中国」などという論調が起こり始めていたものの、依然として経済的には日本の後塵を拝していた。

 そして現在である。世界経済に占める日中両国の立場は逆転し、メコン流域に投入された「円」が稔らせたであろう果実の多くは中国にもぎ取られ、極論するなら雲南省を突破口とする彼らの〝熱帯への進軍〟の地ならしを果たしたに過ぎなかった。それでもなお、「メコンにおける南部回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています」と〝自画自賛〟を繰り返そうとでも言うのか。

 民主党政権(2009~12年)が進めたベトナム向けの新幹線売り込み工作にしても、さらには11年のタン・シュエ軍事政権崩壊を機に「アジアに残された最後のフロンティアー」と歓迎し官民共にミャンマー進出に前のめりになったことも、その後の顛末を振り返れば、この地域の現実を直視する努力を怠っていた好例として上げておきたいものだ。

軽視はできない一帯一路

 習近平は第二次安倍政権発足直前の12年11月に中国共産党総書記に、「安倍ドクトリン」が明らかになった直後の13年3月に中華人民共和国国家主席に就任し、文字通り中国のトップに立った。

 その年の9月、訪問先のカザフスタンで「一帯一路」の原型とも言える「シルクロード経済ベルト」構築を呼び掛けた。1年後の14年11月、北京で開かれたアジア太平洋経済協力(APEC)首脳会議において、中国を起点にユーラシア大陸を東西に結ぶ「シルクロード経済ベルト」(「一帯」)と中国沿海部を起点に南シナ海、インド洋、アフリカ東岸を経てヨーロッパまでを海路で繋ぐ「21世紀海上シルクロード」(「一路」)――周辺国を一帯一路で結んだ国際的な社会経済圏建設構想――を打ち上げたのである。

 以来、「援助とは名ばかりで相手国を借金漬けにするだけ」「質の悪い援助の典型」などの批判を浴びながらも、一帯一路は広がり続ける。

 たとえば中国が強い影響力を発揮する港湾施設を南太平洋からヨーロッパへと数えてみると(付図参照)、パラオ、ダーヴィン(オーストラリア)、ブルネイ、チャオピュー(ミャンマー)、チッタゴン(バングラデシュ)、ハンバントタ(スリランカ)、モルディブ、グワダル(パキスタン)、ドゥクム(オマーン)、ジプチ、ハイファ(イスラエル)、ピレウス(ギリシャ)、トリエステ(イタリア)、ハンブルク(ドイツ)であり、これに今年4月初旬にはソロモン諸島が加わった。

中国が掌握した港湾都市を見ると、習近平政権の思惑が垣間見える(筆者作成) 写真を拡大

 これらの都市が抱える港湾施設の全てが中国の狙い通りに機能するとも考えられないが、一帯一路を掲げて以来の短期間で一連の海洋ネットワーク構築を進めた事実を軽視するわけにはいかない。


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