2024年11月22日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2022年12月2日

 「アジアの海を徹底してオープンなものと」することが、日・米・印・豪を結んでの「中国包囲のセキュリティー・ダイヤモンド戦略」につながり、その成果が現在のクワッドとして現実化しているのだろうが、なぜ「アジアの海」と同じように「アジアの陸」に注目しなかったのか。

 上記5原則の1つに「3.自由でオープンな、互いに結び合った経済関係の実現」が挙げられ、そこには「メコンにおける南部回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています」と記されている。

 まさに「アジアの陸」の中核に位置する「メコンにおける南部回廊の建設」に関し、1990年代後半から、日本はミャンマー、ラオス、カンボジアなどのメコン流域諸国の貧困救済のために多くの予算を投入してきた。現在の黒田東彦日銀総裁が総裁を務めていた当時のアジア開発銀行(ADB)を通じ、メコン流域の経済社会開発に投入された多額の援助もまた、その一環と言えるだろう。

 だが、この地域で現在までに日本は、どれほどの存在感を発揮できたのだろうか。

 たとえば2015年、日本はタイの首都であるバンコクと古都チェンマイを高速鉄道で結ぶ構想に500億円超の予算提供を約束していたはずだ。中国が提起していたタイを南北に貫く高速鉄道構想への対抗の意味合いがあっただろうことは、容易に想像出来る。

 だが経済的合理性・採算性・将来性を考えるなら、残念だが日本側は中国側には敵うわけもない。当時、タイの大臣経験者の1人が「300年掛かっても採算は取れない」と嘲笑気味に批判したほどだが、誰が、なぜ、バンコク・チェンマイ高速鉄道構想に飛びついたのか。同構想は、その後、どのように推移しているのか。想像するに〝塩漬け状態〟に近いのではないか。

 13年初の段階で「いまや、そのみのりを得る時期を迎えています」と確信的に語ってはいるが、それから10年ほどが過ぎた22年の現在、「いまや、そのみのりを得」ているのは日本ではなく中国である。これが偽らざる現実だろう。

中国の鉄道による経済連携構想

 改めて「アジアの陸」の現在に目を移すなら、中国西南の要衝である昆明とヴィエンチャン(ラオス首都)を結ぶ鉄道の「中老鉄路」は紆余曲折を経ながらも、昨年末には完成している。

 中老鉄路の実績として伝えられ得ているところでは、開通から7カ月ほどが過ぎた6月30日時点で利用客は延べ400万人余で、貨物総扱い量は494万トン。ASEAN最貧レベルのラオスを舞台にモノとヒトが動き出した。

 モノとヒトが動けば、やはりカネも回り始める。世界最貧国レベルのラオスだが、待望久しい経済発展の好機が巡ってきたのである。

 中老鉄路とはいえ、じつはヴィエンチャンが終点で行き止まりでは意味はない。当初から中国はヴィエンチャンからメコン川を跨ぎノンカイ、コーンケン、コーラートと東北タイの要衝を貫き、南下してバンコクに繋げることを目指していた。

 もちろんバンコクからマレー半島を南下してマレーシアを経てシンガポールへ。これを「泛亜鉄路(中線)」と呼ぶ。ついでながら同「西線」は昆明発ミャンマー経由バンコクで、同「東線」は昆明を発ちベトナムを南下して西に折れカンボジア経由でバンコクへ。もちろん現段階では西線も東線も構想段階だが、東線などは既存路線を結べば技術的には比較的容易に建設できるのではなかろうか。

 じつは中国による東南アジア大陸部の鉄路・陸路・水路による物流ネットワーク構想は、早くも1990年代初期に持ち上がっていた。西南地域の国境を南に向かって開き、東南アジア大陸部と結びつけることで同地域の立ち後れた社会経済の開発を目指した。これが当時の共産党政権首脳陣の一致した考えであった。

 その〝先兵〟に位置づけられる中老鉄路をテコに、かねてから中国はタイ中央部の南下を狙っていた。一方のタイは国内各地経済重点開発区を建設し、中国の動きを利用しつつ総合的な社会経済開発のための基盤強化を目指してきた。中国とタイの両政府による10余年に亘るマラソン交渉の末、ついにラオスを含めた3国間の鉄道による経済連携構想が実現に向け動き出したのである。

結実しつつある中国の「アジアの陸」

 バンコクで岸田首相と3年越しの日中首脳会談を終えた習国家主席は、11月18日、彭麗媛夫人を伴って王宮にワチュラロンコン国王・王妃を表敬訪問し、国王と王室メンバーの訪中を希望する旨を伝えた。これに対し国王は「機会があったら再び中国を訪れることを希望する」と応じたとのことだ。

 かりに国王訪中が実現した場合、タイ王室と中国の関係は必然的に、これまで以上に接近するだろう。一方、「皇室とタイ王室の深い結びつき」が醸し出していた日タイ友好ムードが現在のレベルから後退する可能性も考えられないわけではない。

 タイ国王が習国家主席に示した対応振りから判断して、プラユット政権が中国寄りの姿勢に一歩も二歩も踏み出したことは想像に難くない。

 19日午前、APEC首脳会議参加後、プラユット首相と習国家主席は首脳会談を開き、2025年の国交正常化50周年を機に、政治・経済・通商・貿易・農業・先端技術(殊に電気自動車)などを含む包括的な戦略的協力関係の一層の強化を打ちだした。詳細は会談後に発表された「安定、繁栄、持続可能な運命共同体建設に関する共同声明」に綴られている。 

 共同声明には(1)中老鉄路とタイ鉄道路線の連携を軸にしたラオスを加えた3カ国間の貿易・投資・物流ネットワーク促進と地域経済レベルアップ。(2)中国の粤港澳大湾区(広東・香港・マカオ経済圏)・長江三角州(長江デルタ)とタイのEEC(東部経済回廊=バンコク東郊の広域経済圏)の連携強化――が盛り込まれているが、ここで注目したいのがタイとラオスの最近の関係である。

 今年6月以来、タイとラオスの政府首脳が相互往来を重ね、上記(1)に関連する両国間の鉄道連携に関する話し合いが進められてきたが、共同声明から判断して、習国家主席訪タイに間に合わせるかのように両国間で合意に到ったとも考えられる。


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