口コミで広がる
テンシンファームの農産物
テンシンファームは配送も「自分たち」で行っている。保有するトラックを毎日走らせ、ホーチミンの中継事務所で仕分けを行い、提携する高級食材店やレストランに農産物を届けている。受注システムを自社で設計・構築し、農場で梱包された農産物や畜産物にバーコードをつけて追跡。配送状況や販売履歴も全て自社で管理し、梱包用段ボールの回収・再利用にも役立てている。
こうして届けられる農産物の評価は高い。ベトナム全土で27店舗を展開するピザチェーン「PIZZA 4P's」(以下、4P's)は、15年からテンシンファームと提携し、ルッコラやケールなどの野菜を仕入れ、ピザやサラダなどに使用している。同社の益子陽介最高経営責任者(CEO)は「テンシンファームのルッコラは桁違いです。苦みと甘み、ぬめりのバランスが絶妙で、瑞々しさとさくっとした歯ごたえもあります」と絶賛する。
家庭向けの直販も行っている。現在、市内約300世帯にテンシンファームの野菜が届けられているが、その会員の多くは口コミで獲得したという。ホーチミン事務所のマネージャーのハーさんは「一般の方向けの広告は打ち出していません。でも、『ここの野菜を買っておけば間違いない』『子どもがテンシンファームの豚肉しか食べてくれない』と言ってくださる方が多く、人が人を呼ぶ好循環が生まれています」と話す。
家庭向けの直販事業単体では、大きな収益を上げられているわけではない。それでも続けているのは、「この事業を通じて伝えたい価値があるからです」と濱さんは話す。
「既存の流通の仕組みでは、原価が安く、保存がきき、傷みにくいなど、流通側にとって都合のいい農産物ばかりが溢れています。消費者も〝ほどほどのもの〟で満足している。つまり、便利さが、農産物の持つ価値や本質を上回ってしまっているのです。しかし私には、最終的には消費者と生産者が手を取り合う農業しか残らないという直感があります。だからこそ、直販を通じて良いモノを望むお客様とつながり、その価値を伝えていきたい。こうした積み重ねが今後も持続可能な農業につながると信じています」
東急の街づくりにも応用
循環型農業の未来
テンシンファームの循環型農業のコンセプトは農業だけにとどまらない。それを街づくりに還元しようという動きもある。
ホーチミン中心部から車で1時間ほど北上した場所に位置するビンズン新都市は、ゴム林を切り開き工業団地として発展を遂げたモノづくりの街だ。4000社以上の海外直接投資(FDI)が集まるポテンシャルを秘めたこの街で、1000ヘクタールの巨大都市を構築しようという壮大なプロジェクトが着々と進められている。日本の大手私鉄・東急とベカメックスIDCの合併会社であるベカメックス東急が展開する「東急ガーデンシティプロジェクト」だ。
11年の立ち上げからこのプロジェクトに携わるベカメックス東急の平田周二最高執行責任者(COO)は、「工業団地で働くマネージャー層に東急ガーデンシティに住んでもらい、日本でもあまり前例がない職住近接モデルの街をつくりたいと思っています。ここでは、自然環境に触れることができる持続可能な街づくりがテーマであり、プロジェクトの核となる商業施設Hikariのコンセプトは濱さんから着想を得ています」と話す。
前出の4P'sは濱さんの技術協力もあり、16年から循環型の仕組みを店舗に導入。アクアポニックス(編集部注・魚の排泄物を栄養分に植物を育てる仕組み)や生ごみの堆肥化を実践している。益子CEOが「4P'sだけでは影響力が小さいし、もっと大きいことをやりたい」と考えていたところ、「一レストランではできないことをデベロッパーである東急が街づくりの中に取り入れ実現しよう」(平田COO)と17年にプロジェクトが動き出した。コロナ禍を経て、22年9月に循環型のコンセプトを体現する商業施設として設計されたHikariが竣工した。
開発責任者の坂井理夏商業部長は「ビンズン新都市は街自体も居住する人も新しく、〝この街らしさ〟をつくる途上にあります。住民や利用者、テナント企業と一緒に先進的なチャレンジをすることで、この街らしさをつくっていきたい」と話す。