べトナム最大の都市ホーチミンから飛行機に乗ること約50分。標高約1000メートルの高原地帯に位置するダラット空港に降り立つと、冷涼な風がベトナム南部特有の蒸し暑さを忘れさせてくれる。
ラムドン省の省都・ダラットは、20世紀初頭、フランス統治時代に開発されたリゾート地でもある。生鮮市場には、日本では目にできない色鮮やかな野菜やパッションフルーツが所狭しと並び、ベトナム全土への高原野菜の供給地としての役割を果たす。街の中心部は、湖の澄んだ青、山々の眩しい緑、オレンジや黄の西洋建築の家々が巧みな色彩を織りなし、その美しさからベトナム人のハネムーンの定番スポットとして人気を集めている。
11月23日、小誌記者は循環型有機農園「THIEN SHIN FARM(テンシンファーム)」を営む濱周吾さんを訪ねるためにダラットにやってきた。
日本に再び何かあったときに
ベトナムから日本の力になりたい
濱さんは2004年、残留農薬が原因で日本への烏龍茶の輸出を制限された日越合弁会社の立て直しを依頼され、「チャレンジしがいのあるプロジェクトだと思いました」と渡越を決意。静岡大学農学部を卒業後、ドイツで有機農法を学んだ経験を生かし、さまざまな苦労を乗り越え、農薬漬けだった130ヘクタールの茶園を有機農法に転換させた。
濱さんの有機農法は現地の農業関係者の間でも注目を集めるようになる。ベトナムにおける育苗業のパイオニア、タンさんもその一人だ。濱さんの手法に当初は懐疑的であったが、茶園の見学に訪れコミュニケーションを重ねるうちに意気投合。南米やアフリカ、ベトナムの農業従事者が農薬依存から脱却し、健康被害を心配せずに農業を営み、自立できるようにしたい―─。この思いを共有し、有機農業の共同研究を行うことになる。
2人が「テンシンファーム」を設立するきっかけとなったのは、11年に発生した東日本大震災である。
「いつか日本に再び何かあったときに、ベトナムから日本の力になれるようなモデルをつくりたい。そう考え、循環型の農場をつくり共同経営したいとタンさんに提案しました。二つ返事で快諾してくれた彼には今でも感謝しています」(濱さん)
テンシンファームはタンさんが命名した。「天・生・農場」など、さまざまな意味が込められているという。