その一方で、一部の日系人に対して「ハーフ美女」などといって持ち上げる風潮もある。ただし、1980年代のバイリンギャルとは違って、現在の「ハーフ美女」は、日本語のアクセントは完璧ではなくてはならず、むしろ「外見とは違って極端に控え目」であることで初めて許され、愛されているようにも思える。
日本社会の「ウチ」と「ソト」の感情
こうした現象の全てに共通するのは、日本の社会が「ウチ」と「ソト」を厳しく峻別する社会ということだ。否定するのは簡単だが、日本の言語と文化に染み付いている習慣だからなかなか変えられない。
例えば、「外人顔」をして「日本語が初心者」の場合は、完全に「ソト」の人だから、日本人は警戒せず客分として「もてなす」。ところが、日本語が上手になり、ほぼ完璧となったレベルになると、警戒感が出てくる。そこで敬語のミスをすると、失礼だとボコボコにされることがある。「ウチ」の世界に食い込んでくると途端に厳しくなるのだ。
テニスの大坂なおみ選手の場合は、全米などで活躍している時期は「ソトの人」だったのが、五輪の日本代表になって「ウチ」に食い込んでくると、日本人独特の警戒感が出てきてしまった。その上で、アメリカ的な権利主張をして、しかも弱さの披瀝(ひれき)が称賛されるなどという現象になると、日本の世論はとても「ついていけない」、と距離を置くようになったと考えられる。
ヌートバー選手が見せた〝変化〟
こうした点から考えると、今回の野球の国・地域別対抗戦、ワールド・ベースボール・クラシック(WBC)日本代表チームにおける、ラーズ・ヌートバー選手の異常な人気は、従来のパターンとは異なるのを感じる。
まず名前が英語であり、日本語を積極的に話さないことから、基本的には「ソトの人」の立ち位置、つまり安全圏からスタートしている。だが、そのプレーの内容が、非常にガッツにあふれており、誠実な印象も与えることが日本人の心理に「刺さった」。この異常な人気はそうとしか説明できない。
つまり、日系人を基本的には仲間と思えず、「ソト」の人と扱う一方で、日本語が上達したりして「ウチ」の世界に入ってくると途端に警戒したり、「長幼の序」の中に押し込めたりする悪習があるわけだが、ヌートバー選手の場合はそうした「ひっかかり」を上手く「すり抜けて」いるのだ。そこには、日本社会がようやく「魅力ある個人は個人として認める」ということができるようになってきた新しい潮流を感じる。