エルサレムにあるイスラム教とユダヤ教の聖地「神殿の丘」(イスラム名ハラム・アッシャリーフ)で発生したパレスチナ人とイスラエル警察の衝突事件はパレスチナ自治区だけではなく、イスラエルの隣国レバノン、シリアからのロケット弾攻撃に発展した。特にイスラム組織「ハマス」と親イラン民兵組織「ヒズボラ」の共闘が初めて浮き彫りになり、軍事的緊張が高まっている。
なぜ紛争の発火点なのか
最近のイスラエルとパレスチナ人、アラブ人との紛争の発火点は常にこの「神殿の丘」だ。どんな場所なのか。
一言で表現すると、当地はイスラム教徒、ユダヤ教徒にとって、ともに譲れない聖地ということだ。伝えられているところでは、紀元前10世紀頃、ユダヤ王国のソロモン王がこの場所に神殿を建設、この神殿の壁の一部は今も「嘆きの壁」と称され、ユダヤ教徒最大の聖地として残っている。
この壁に隣接する高台が「神殿の丘」だ。ユダヤ教徒にとってはこの丘も聖地だが、ユダヤ人が世界各地に離散した後の691年、イスラム教の開祖ムハンマドが昇天したといわれる「岩のドーム」が創建され、8世紀にはイスラム礼拝所「アルアクサ・モスク」が建てられた。イスラム教徒にとっては、メッカ、メジナに次ぐ第三の聖地なのである。
イスラエルは1967年の第3次中東戦争で東エルサレムをヨルダンから占領して以降、「神殿の丘」を実効支配してきた。その後ヨルダンとの和平条約を結んだ際、同地の管理はヨルダンに委ねられ、ユダヤ人の立ち入りは自粛されることになった。だが、イスラエルのベングビール国家治安相ら極右勢力はたびたび同地を訪れ、パレスチナ人との軋轢の元になってきた。
今回の衝突は4月4日夜から6日にかけて断続して起きた。イスラエル警察はパレスチナ人が暴動を準備して「アルアクサ・モスク」に立てこもったとして、2度にわたって内部に突入、数百人を拘束、約40人が負傷した。
この際、警察は警棒を振るってパレスチナ人を排除、その映像がSNSで拡散し、アラブ人の怒りを買った。イスラム世界は現在、聖なるラマダン(断食月)中。ユダヤ教徒も重要な祝祭「過ぎ越し祭」の最中だ。両者に宗教心とナショナリズムが高まる時だった。