著者は原敬をどう見たか
首相として。政党党首であると同時に衆議院に議席を持って組閣したのは原が最初であった。すでに述べたように山県との関係が最も心を配ったことであって、それに成功したのだが、それでも山県は「政府に立って成功するものを喜ばず」、自己の権勢維持に汲々としつつ、他人が功績をあげるのを嫉妬する人だった。だから原内閣について不満を時折、野党方面の人々に漏らした。したがって次期政権を狙って山県へ接近を図る憲政会の人をしばしば元気付けた。このような微妙な関係性が両者には常にあった。
以上を踏まえての原内閣の評価は非常に厳しいものになっている。すなわち、原内閣のやったことは、小選挙区制採用などもあるが、あまり大きな実績を上げてないという。そして野党が普通選挙法案を提出した時に衆議院を解散して大勝したのだ。原は山県に及ぼしている民衆の圧迫感が政権の座に就かせる契機になったことは知っていたが、普通選挙制度に賛成するわけではなかった。馬場恒吾が民衆を背後にして枢密院に当たれと言った時、それは「革命だ。僕には賛成出来ぬ」と言った。
そして原内閣時代、非常に多くの疑獄事件が起きた。犬養毅は演説して原内閣は利権を提供して党勢の拡大を図っていると痛罵した。そして疑獄事件の中には、アヘン問題事件のように、原の司法省学校時代の同級生で旧友であった人がいた。
馬場恒吾が政治の腐敗する原因は選挙に金かかるから、金のいらない政治を建設する必要がありましょうと言うと、「そんな馬鹿な事があるものか。みんな金を欲しがるではないか。金を欲しがらない社会を拵えて来い。そうしたら、金のかからぬ政治をして見せる」と言ったという。
そして、国民は大正初期には大隈・原、政党政治に非常に期待していたのに、原政権の末期にはそうした期待を政党政治に抱けなくなっていたと指摘している。
最後は、戦後の政党政治が派閥争いに浮沈する中、原に高い評価が与えられることがあるが、あの原のリーダーシップを回想させるのか。戦後の政党政治の問題が政策になくて、政党の規律にあることを意味するので、これでも良いのだろうかと結んでいる。
この点、同時代を生きた人の評価というのはこういうものかと思わせられ、読んでいて原に気の毒な気がするような批判的評価である。
その後、研究が進み、原内閣の政策の再評価などが行われているので、全体として著者の原評価は厳しすぎるところがあるように思われる。しかし、一方で近年は礼賛的傾向のものが多いようにも思われ、原の置かれた立場を的確に理解し、その長所と短所を鮮やかに描いた本書の価値は未だに大きいといえよう。いつまでたっても色褪せない名著である。