率直に言って、第1ラウンドで負けた企業が第2ラウンドで戦いやすくなるようにルールを変更するという、露骨で公的な制度としては極めて異例な事業進行中の制度変更であったというべきだろう。それでも再エネ業界の有識者は、「秋本議員の働きかけによって、公募ルールが事業者に有利になるようにねじ曲げられたという事実はない。それどころか、今のような価格偏重の入札方式が続けば、日本の洋上風力政策は立ち行かなくなる」と、事ここに至ってもこうした意見と、恬として恥じる様子はない。
再エネレントと汚職レント
今回の一件は典型的なレントシーキングである。レントシーキングとは、本来であれば市場競争の下、需要と供給のバランスで決定される価格で供給される財やサービスを、市場での競争を回避することで本来より高い価格で取引されるよう供給側が働きかけることである。
またこの場合、レントとは競争価格よりも高い価格で取引できることで本来供給者が受け取るべき利益を上回って得られる超過利潤のことを指す。レントを得ようとあれこれ働きかけるからレントシーキングと呼ばれるわけだ。
市場競争を回避するために、最もよく取られるのは政治に働きかけ(ロビイング)、規制制度を導入することである。規制によって、供給者の数を制限する、あるいは価格を市場によらず政治的に決定するという方法が考えられる。市場取引では需要側と供給側の思惑(買っても良いvs売っても良い)が一致するまで取引は成立しないが、政治はそれに介入し、市場でのバランスから決まるはずの取引量よりも大きく(あるいは小さく)、価格よりも高く(あるいは税金を投入するなどして低く)することになる。
とは言え、レント=超過利潤と言っても一概に全て否定されるものでもない。例えば、新しい医薬品の特許を取得した場合、一定期間その医薬品を販売する権利を独占的に保有し(供給者を制限し、競争から保護)、高い価格で販売することができる。その時に得られる利潤は供給者が競争して販売する場合の価格水準より大きくなるが、その超過利潤(レント)は特許に値する医薬品の開発に取り組んできた企業への正当な報酬として正当化される。
特許によるレントがなければ、リスクのある新製品やイノベーションに取り組もうとする企業が出てこなくなる恐れがあり、イノベーションは社会全体に利益をもたらすため、この場合の超過利潤は社会的にも望ましいものである。
実は洋上風力を含む、再エネ全般のこれまでの成長はレントの賜物である。風力も太陽光もわが国では化石燃料による発電コストよりもずっと割高であった。風力にせよ、太陽光にせよ、化石燃料を含む全ての電源と競争する市場においては、再エネに投資するという決定は起こらないはずであった。
しかし再エネには発電時に二酸化炭素(CO2)を排出しないというメリットがあり、そのメリットが社会的に望ましいと政治が価値を見出し、固定価格買取制度(FIT)という形で通常の電力販売価格よりも割高な価格でも再エネは発電した電力を販売できる制度が導入された。競争から隔離され、化石燃料によって発電する電力と品質的に何ら違いのない電力を割高な価格で販売しているわけで、まさしくレントに他ならない。これを再エネレントと呼ぼう。
そして今回の贈収賄はこの再エネレントとは別に、日本風力開発と政治家が結託して更なるレントの上乗せを企図したもので、それぞれ区別して考える必要がある。この汚職レントとでも呼ぶべきレントも、同様に競争を政治の力で排除して、価格を引き上げることで供給者が不当な超過利潤を得ようとする企てであり、そのために政治家に働きかけるレントシーキングを行ったということになる。
レントシーキングは見えないところで国力を侵食する
今回の贈収賄事件のメディア報道は汚職レントの方ばかり注目している。もちろん事件になったのは汚職レントであるから当然ではあるものの、本稿は今回の案件を再エネレントの存在についても改めて考える契機にするべきだと考える。
特許もそうだが、社会的意義のあるレントであったとして、その存在が許容されるのは本来一時的な期間であるべきである。特許もいつまでも販売独占を認められるものではなく、あくまで特許の有効期間が定められている。再エネレントも本来は一定期間を経た後は解消されるべきものである。
再エネレントの設定を具体的に見れば、わが国で再エネ導入が本格化した2010年代以降、導入支援策の中心となってきたFITは政治が再エネの買取価格を決定し、その価格水準で利益が出る供給者は全て電力を販売できるとするという制度であった。買取期間は太陽光の場合は20年間であり、長期であるが、レントはいずれ解消されるものとして制度化されている。