2024年7月16日(火)

偉人の愛した一室

2023年10月21日

才能にほれ込んだ
主人との縁

 名古屋で名高い料亭「八勝館」は、市営地下鉄鶴舞線の八事駅を降りてすぐ、木立が鬱蒼と繁る高台にあった。3棟の門と、それぞれ趣向を凝らした客室6棟が重要文化財の指定を受けている。この種の施設では極めて稀なことだ。ここに、魯山人が愛した部屋がある。

桂離宮がモチーフである「御幸の間」。特徴的な月見台を経て眼下に広大な庭が広がる

 もとは材木商の別荘で、25年(大正14)に料理旅館として創業された。50年(昭和25)、愛知国体にともなう昭和天皇行幸に際し、料理旅館時代の客でもあった堀口捨己が「御幸の間」を手掛けたほか、風趣に富む広大な庭園にも手が入れられるなど、全面的な改装が施された。料亭となったいまに伝わる庭の美しさは、日がな眺めて時を忘れるほどだ。

4000坪ある庭は「梅の間」を含め、すべての部屋からそれぞれの表情を楽しむことができる

 女将の杉浦香代子さんによれば、魯山人との付き合いは初代の杉浦保嘉に始まるという。昭和の初め、星岡茶寮で開かれた魯山人の鉢の展示販売会に招かれ、その場で多数を購入した。以来、家族ぐるみの深い付き合いになったという。魯山人から勝手に請求書付きで器が送られてきたり、中には破損して使えないものが含まれていることもあったが、初代は、必ず額面通りの支払いをしたそうだ。それだけ初代は魯山人の作品に魅了されていた。

 たいがいは正月に1人でふらりと現れ、別荘時代からの「梅の間」に勝手に腰を据える。6畳の主室に、一間の書院床、回り廊下と次の間が付くだけの簡素な造りだが、決まってこの部屋だったというから、やや古風なこの佇まいが気に入ったのだろう。厨房にも姿を現し、料理人たちにあれやこれや指図する。多くの芸術家を支援した主人はさておき、番頭や料理長は、これが大嫌いだったようだと、香代子さんは話す。

魯山人が好んで宿泊した「梅の間」。到着して早々に床の間の花を直していたという

 「でも、豆腐ひとつ盛りつけても、真似のできないセンスがあったそうです。季節感を大切に、素材のうまみをどう引き出すか、魯山人の精神がいまに受け継がれているのを、ひしひしと感じます」

 交流は、魯山人が死去する59年(昭和34)まで続き、八勝館にはその器が多数、残されている。

八勝館では一部のコースで魯山人の器で素材を生かした料理を楽しむことができる

 星岡茶寮を追放された魯山人は、鎌倉で作陶に没頭し、時には、年に6000点もの器を焼いたとされる。しかし、その素行は改まることなく、数度の結婚と離婚を繰り返し、家族は離散していった。それでも、いまなお作品は強烈にその個性を主張する。魯山人でしかない何かを訴え続け、いまも光っている。

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Wedge 2023年11月号より
日本の教育が危ない 子どもたちに「問い」を立てる力を
日本の教育が危ない 子どもたちに「問い」を立てる力を

明治国家の誕生以来、知識詰め込み型の画一的な教育が行われ、日本社会には〝正解主義〟が蔓延するようになった。時を経て、令和の日本は、数々の前例のない課題に直面し、従来の延長線上に「正解(アンサー)」が見出しにくく、「自らが『問い』を立て、解決する力(ソリューション)」が求められる時代になっている。一方、現代を生きる子どもたちの状況はどうか。学校教育は「質の低下」が取り沙汰され、子どもたちは外遊びよりも、塾通い、宿題に次ぐ宿題で、〝すき間〟時間がない。本当に、このままでいいのだろうか。複雑化する社会の中で日本の教育が向かうべき方向を提示する。


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