でも、もっと大きな理由はやっぱり「そんなことは本当はどうでもいい」なんです。こういう議論で飛び交うのは魔法の信奉者の言葉と、それを激しく攻撃するロジックばかりです。一緒になって攻撃すれば喝采を浴びるのかもしれませんが、それは不毛だと思っています。自分が好きな本、好きな音楽、あるいは好きなレストランでも、そんな押し付けがましい真似は誰もやっていない。押し付けがましくないように整理して、やっぱりその先にあるもっと楽しいものを語りたいという気持ちがずっとありました。
――「その先」を語るためには、一度は久松さんなりの言葉で簡潔に整理しておく必要があったということですね。
久松:農薬のことも、本を書く上で避けることができなかった放射能被害のことも、あるいはTPPも僕にとっては重大な問題じゃないんですよね。心配する人の気持ちはわかりますが、心配の方向があさっての方角にいっている気がします。
この本では驚くほどの新事実は何ひとつ書いていませんが、提示した問題はどれも一つの刀で斬ることができないような、いくつもの文脈が重なってできています。それぞれを丁寧にパッケージしつつ、細かいところまでは深入りしないように網羅したつもりです。こういう本を誰かが書いていてくれれば、就農当時の僕が悩まずに済んだこともたくさんあったかもしれない。先達がやらないなら、そこは自分の役割なのだろうと思って書きました。
久松農園では無農薬栽培をやっていますが、農薬は高いレベルで安全性が担保されています。でも合理的な安全だけでは救われることのない人もいる。生産者も八百屋さんも、消費者に質問されたときに、笑顔で「減農薬栽培ですよ」「対策も計測もやっていますよ」と笑顔で答えるとすごく安心してもらえる、そんな体験をしているはずです。科学的なアプローチは大事ですが、それは現実を見るためのひとつの窓にしかすぎません。農薬ひとつとってもいろいろな窓から見て書かなければいけないと思っていました。
かといって合理性の窓が重要な方もいるでしょう。だからたとえばADI(一日摂取許容量:食品中の特定の物質について、一生涯にわたって毎日摂取し続けても影響が出ないと考えられる一日あたりの量を100で割った量)のこともできるだけ正確に書きました。でも書き過ぎない、その度合いにもっとも気を遣いましたね。