――それぞれ1冊ずつ書けそうなトピックを網羅的に整理しながら、誰でも読めるような記述になっているのが印象的です。後進の農家がこういった説明に追われて、余計なエネルギーを使わずにすむようにしたいという思いもあったのでしょうか?
久松:そうかもしれませんね。それに魔法側の人だけでなく、一見合理的な批判をしている人たちも、実際はかなり不勉強だと思いますよ。ADIのことをちゃんと説明できる人も多くはないし、そもそもベースに不信感があればこその対立なのに、不信の構造に向き合う人はさらに少ない。
議論のセッティングが間違えているところに、ファンタジーを入口にした新規就農者が毎年参入してきて、不毛な議論が再生産されていく。なおかつ議論がすごく狭いところに入り込んでしまっています。
これは僕らにも責任があって、「有機」にまさる魅力的な看板に掛け替えられていないんです。もっとキャッチーで嘘のない言葉さえあれば、世間に広がってしまった誤解に乗っかる必要はない。有機だから野菜が美味しいわけではないし、手作り無添加のお惣菜は手からエキスが出ているわけじゃないですよね(笑)。どちらも手のかかる工夫や気配りをしている結果で美味しくなっているのであって、有機はそのなかのひとつの方法であり、目的ではない。それに有機や無添加のイメージをまとうことについては、大手流通などのほうが僕らよりずっと努力しています。そこに勝てるわけはないんです。
――もっと上手に効率よくイメージを作れる人たちと同じ土俵に乗ってはいけない、と。
久松:そうなんです。でも有機は、僕にとってはそんなイメージよりもっとキラキラしたものなんですよ。かつての自分がものすごく憧れた、深い世界観がそこにはある。それが「無添加」「無着色」みたいな矮小化されたイメージの手垢にまみれてしまっている気がするんです。違う、そんなつまらないものと一緒にしないでくれ、というのが最大の執筆動機かもしれないですね。
――意外だったのは、本の中でご自身のことを「センスもガッツもない」「鈍臭い」とおっしゃっていることです。常に理路整然とされている久松さんに「鈍臭い」という印象を持つ人はいないのではないでしょうか。
久松:でも器用な人は言語化しないですよね。長嶋茂雄が語る打撃の極意が「ボールがビューときたらバーンだ」だという伝説は、その典型ですよね。僕は人の真似もうまくないし、コツをつかむのも遅い。器用な人に尋ねても理解可能な答えはなかなか返ってこない。ずっとコンプレックスがあったんです。