その後、米陸軍通信情報部はGC&CSと米海軍が暗号解読の分野で協力していることを知り、まず米陸軍から米海軍に対してエニグマ暗号解読についての情報提供を求めたが、米海軍は英国との協定を理由にそれを拒否している。そこで米陸軍もGC&CSに対して直接情報協力を申し出ている。43年5月24日にはワシントンでGC&CSと米陸軍通信情報部の間でBRUSA協定が結ばれた。これによってGC&CSと米陸海軍の間で、日独の暗号解読に関する情報はすべて共有することが確認されたのである。
こうして米英間で通信傍受情報を共有する制度的な枠組みは整ったが、双方はお互いのことを完全に信用していたわけではなかった。英側では、米国が陸軍と海軍が分かれて暗号解読を行っており、また双方の関係もあまり良くなかったため、常に作業の非効率化や情報漏洩への懸念があった。他方、米側は、老獪な英国がまだ秘匿している事項があるのではないかと不信を抱いていたのである。特にGC&CSが自分たちの暗号を解読し始めるのではないかという疑惑が常に米国側について回ることになる。
しかし戦争を通じて、GC&CSが米国の暗号を密かに解読することはなかった。むしろ両国に共通した懸案は、「同盟国」であったソ連の暗号解読である。米国は43年、英国でも44年までにはソ連暗号の解読作業に着手していたが、ソ連の赤軍暗号は強固でなかなか解読できず、また戦争中は日独のものが優先されたため、ソ連暗号の解読はほとんど進んでいなかった。そのため日本の降伏によって第二次世界大戦が終結すると、米英両国は対ソ通信傍受協力を進めることに合意し、これに「バーボン計画」というコードネームが与えられた。
前任者のルーズベルトとは異なり、米トルーマン大統領は当初、通信傍受情報を重視していなかった。しかしながら徐々にその価値を認め、日本降伏後の9月12日、トルーマンは自ら戦後世界における英国との情報協力について話し合いを進めることを命じたのであった。
日独は現在でも対象国
暗号解読は今なお続く
46年3月5日、米英の間で、UKUSA協定が結ばれた。本協定こそが、戦後の米英の通信情報協力の根幹となったものであり、その基本原則は現在も踏襲されている。
UKUSA協定がそれまでのホールデン協定やBRUSA協定と異なるのは、後者が戦争遂行の必要性から締結されたものであるのに対して、前者は平時からソ連(ロシア)を含む、アングロサクソン諸国以外の全ての国の暗号を解読するというものである。この協定によると、日独も引き続き暗号解読の対象となっている。
米空軍情報部長、チャールズ・カーベル少将は、UKUSA協定について米英の間に完璧な情報交換の制度が成立したと高く評価した。そして49年にはカナダ、56年には豪州とニュージーランドの通信傍受情報部がこの協定に参加することによって、現在にも続くファイブ・アイズの体制が築かれたのである。