2024年12月22日(日)

インドから見た世界のリアル

2024年2月6日

 インドの情報機関の活動が目立ち始めている。2023年に起きた、カナダ、英国、そして米国に潜伏しているシーク教徒過激派の指導者に対して、暗殺ないし暗殺未遂の疑いをかけられているからだ。まさに、映画007のように、インドの情報機関員には「殺しのライセンス」でもでたのであろうか。

(KuntalSaha/gettyimages)

 米国すら恐れず挑戦するインドの姿勢は、欧米やロシア、中国などの大国が牛耳ってきた情報の世界に乗り込む、新しい大国の鼓動でもある。インドの情報機関とは、どのようなものなのだろうか。それは、日本にどのような教訓をもたらすものなのだろうか。

定評あるインドの情報分析

 実は、インドは、もともと情報分析に定評のある国だ。例えば、朝鮮戦争の時、北京駐在のインド大使は、米国に、もし国連軍が38度線を越えて北上すれば、中国軍は参戦する、と連絡し、トルーマン大統領にまで伝わっていた。結局、米国は信じず、中国軍が介入、米中両軍が戦うことになったのである。インドのもたらした情報と分析は、正確だった。

 当時、米国の情報機関、中央情報局(CIA)とインドの情報機関(後にインドの対外情報機関、「研究分析局(RAW)」になる組織)は、連携し合っていた。中国がチベットを暴力的に併合し、チベット人からの要請を受けていたからだ。

 両国の情報機関は、チベットの武装闘争を支援し、チベットから志願者をつれてきて、米国本土や、沖縄の嘉手納基地で訓練し、チベットに送り込んでいた。結局、中国はチベットの反乱を鎮圧してしまい、ダライ・ラマはインドに亡命して亡命政府をつくった。そして訓練を受けたチベット人は、インドの情報機関の傘下に入り、「機構22(後の「特別辺境隊(SFF)」)」になっていった。

 その後、中国は1962年、インドにも侵攻した。インドは一部領土を失い、この敗戦を機に情報機関の大規模な再編を開始、さらに65年の第2次印パ戦争を機に、対外情報機関を再編、「研究分析局」を創設したのである。そして、その「研究分析局」は「機構22」を傘下に収めたのである。


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