2024年12月22日(日)

インドから見た世界のリアル

2023年9月26日

 インドとカナダの関係が大きく揺れている。発端はカナダ在住のシーク教徒過激派指導者が殺害された件に関して、カナダの捜査当局はインドの情報機関(おそらくインドの対外情報機関「研究分析局」だろう)の関与を疑ったことに始まる。

G20サミットで顔を合わせたインドのナレンドラ・モディ首相(右)とカナダのジャスティン・トルドー首相。今では両国の関係は冷え込んでいる(AP/アフロ)

 インドは、関与を否定する一方で、カナダがテロの聖域になっているとして、カナダ人へのビザ発給を停止した。カナダのトルドー首相は、「インドは重要性が増している国で、われわれとしても今後とも協力していかなくてはならない国だと、それは疑いようもない」と述べる一方で、両国の対立はむしろ激化している。この問題の背景には何があるのか。本稿はインドの歴史から分析を試みる。

シーク教徒過激派とは

 この問題を理解するには、まず、シーク教徒過激派というのが、何を行った人々なのか理解する必要がある。シーク教徒というのは、文字通りシーク教を信じる人々であるが、実は、日本人にはなじみのある人々だ。

インド人のイメージとしてでてくる、「頭にターバンを巻いたインド人」は、シーク教徒だからである。シーク教徒は髪を切らないため、髪をターバンにまるめて、巻いているのである。巻くのに毎朝15分かかる人もいる、といわれる。

 このシーク教徒は、インドのパンジャブ地方に多く住み、昔は独立国家を形成していた。英国がここを攻撃した際、シーク教徒の王国がすでに西洋式の軍隊を保有しており、強力な軍事力で迎え撃ったため、英国はシーク教徒を高く評価したのである。

 英国の雇い兵であったセポイが反乱を起こした際、英国はセポイに代わる新しい兵士の供給源を探し、シーク教徒に目を付けた。こうして英国は、世界を支配する際に、シーク教徒の兵隊を連れて行った。

 世界中でインド人がターバンを巻いているイメージが広がったのは、英国人が連れて回った兵士がシーク教徒だったことが一因である。例えば、日本も出兵した義和団事件に参加した各国の兵士たちの写真を見ると、シーク教徒の兵士が写っている。こうして日本でも、インド人というと、ターバンを巻いているイメージが定着していったのである。

義和団事件に派遣されたインド人兵士たち(Archive Photos / 特派員/gettyimages)

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