2024年2月26日(月)

インドから見た世界のリアル

2023年9月26日

 しかし、1984年、このシーク教徒の一部がインドからの独立を目指した。インド国内の商売が進展するにしたがって、ヒンドゥー教徒の商人らがパンジャブ州に移り住むようになり、次第にシーク教徒の一部が「ヒンドゥー教徒に乗っ取られる」という危機感を覚えたことが背景にある。

 武装蜂起したシーク教徒の過激派は、シーク教徒の聖地ゴールデンテンプル(日本の金閣寺のような建物)に立てこもった。これに対し、当時のインディラ・ガンジー首相は軍に鎮圧を指示、軍は鎮圧作戦「ブルースター作戦」を開始、戦車で聖地に突入し、聖地を破壊してしまった。

 インディラ・ガンジー首相は、ヒンドゥー教徒とシーク教徒の和解のため、ボディガード5人の内2人をシーク教徒にしたが、ある日、この2人がインディラ・ガンジー首相に発砲、殺害してしまったのである。

 全土で、怒ったヒンドゥー教徒がシーク教徒を襲い、約6000人が殺害されたが、1人を除き逮捕者は出ていない(逮捕された1人は 当時与党だった国民会議派のリーダー、サジャン・クマール氏で2018年に逮捕、終身刑 )。だから、到底文化的とは言えない野蛮な方法で、報復による集団的懲罰を加えたものの、テロ対策としては大失敗であった。

世界的なテロ対策事例へ

 しかし、インドはその後、テロ対策を改良した。

 もともとパンジャブ州は、インド側とパキスタン側に分かれて独立した地域である。インド側のパンジャブ州でシーク教徒の一部が武装ほう起した後は、パキスタンがこれを支援した。

 だから、新しいテロ対策で、軍はこのパキスタンからのテロ支援を遮断する国境封鎖の役割を担った。一方、国内のテロ対策では、軍ではなく、警察と軍の中間的な存在にあたる、専門の対テロ専門の部隊を創設し、そこが担当する形式に改めた。

 その他にも、警察は、パトロールする際、車ではなく徒歩でゆっくり丁寧に行うこと、住民ともっと交流すること、住民が困っている時に些細な問題でも対応して信頼を得ること、警察が住民と癒着しているとみられる場合には、インドの全く別の地方から癒着しにくい部隊を連れてきてテロ対策に当てること、などのさまざまな対策を施した。

 そして、シーク教徒の過激派が再び、再建されたばかりのゴールデンテンプルに立てこもった際には、対テロ専門部隊が聖地を破壊せずにテロリストだけを排除する「ブラックサンダー作戦」を実施して、成功した。このような対策の結果、1992年には、このテロ活動をほぼ完全に鎮圧することに成功したのである。2001年、米国で9.11同時多発テロが起きると、このシーク教徒過激派鎮圧の例がテロ完全撲滅の数少ない成功例として、世界のモデルとなったのである。

 ところが、ここで終わりではなかった。シーク教徒過激派は、英語を話す各国、カナダなどに逃げて、そこで独立運動の再建を目指して潜伏していた。これをインドの情報機関は監視し続けていた。そして今回、その過激派指導者がカナダで殺害され、国際問題になったのである。

 インドの情報機関が関与したかどうかは、まだ調査中であるから、断定的に言うべきではない。だが、可能性はある。

グローバルなテロ対策と国家主権

 このような経緯を見るに、もし仮にシーク教徒過激派指導者の殺害に関してインドの情報機関が関与していたとしても、インドが狙ったのはテロ対策で、カナダそのものに対する攻撃ではない。それにもかかわらず、これが問題なのは、カナダにとっては、カナダ政府が市民権を与えた人の安全、カナダの国家主権に関わる問題だからである。

もしインドがシーク教徒過激派指導者の活動を取り締まりたいならば、カナダの警察へ掛け合い、カナダの警察が逮捕すべきものだからだ。


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