ブレイディ 「自分の靴」を手放さずに「他者の靴を履く」という適度なエンパシーを働かせるためには、足元にブランケットを敷いて、他者と地べたで話すことが大切だ。先ほどの「愚痴会」のように、「民主主義とは話すこと」である。民主主義が後退している国ほど、国民の間で活発な議論が行われていない。現在コミュニケーション手段として広く使われているSNSでは、それぞれが自分のイメージを形作って発信しているだけであり、実のある議論になっていない。
エンパシーを働かせることは重要だが、万能薬ではない。他者の靴を履きすぎて、自分を見失うようでは本末転倒である。「他者の靴を履く」前に「自分の靴」をしっかりと持ち、履いておくことが必要だ。
適度なエンパシーを育むためには、「この人はこういうものだ」と決めつけないことが重要である。冒頭のテレビ番組のように、実際に立場を変えて行動することで、自分がエンパシーを正しく働かせていたかどうかが分かる。他者を正しく理解していると思う自分を疑い、実際に行動し、経験してみること。普段話さない人と話してみること。自分が今まで知らなかった世界にも目を向け、日々、知識をアップデートすることも大切だ。
また、他者の靴を履く側だけではなく、自分の靴を履かせる側がそれを拒まないことも重要である。「あの人は嫌いだから自分の靴は履かせない」とするのではなく、受け入れることも必要だ。理解する側とされる側のお互いの方向から垣根を越えていくことが、相互理解と共存につながっていく。
街の書店が消えていくことは時代の流れだが、昨今、英国では、個人経営の書店が増えつつある。家庭(第一の場所)でも、職場や学校(第二の場所)でもなく、リラックスできる第三の場所「サードプレイス」が大事だと言われているが、まさに書店が地域社会のハブになっている。自分とは異なる階層の人々の靴を履くことができる場所としても期待されている。他者の靴を履くことは、民主主義を育む大事な一要素である。エンパシーを正しく活用して、より良い社会をつくっていくことが、これからの日本には必要だ。
(聞き手/構成・編集部 野口千里)