今回、西アフリカで人の家に寄宿する中で、私はどうしてもアフリカ言語を学びたくなった。フランス語や英語会話では、彼らの頭の中を探ることはできないと改めて気づかされたからだ。南アでズールー語習得を急いだのはそのためだった。
まだ夢のような話だが、私は近い将来、南アフリカを拠点にサハラ砂漠以南のアフリカの国々を自分のフィールドにしたいと思っている。ここに暮らした1995年から2001年の間、ここは私の取材現場だった。それを取り戻したいのだ。
人や世界を「知る」ということは
当時、30代の私はいつも時間に追われていた。南アフリカに暮らし50カ国近くの国のニュースをカバーするというとんでもない「任務」を私はまともに受け止めていた。
ニジェールでクーデターが起きれば、国の歴史を勉強し、現地で誰彼なくインタビューを続けた。政変の続いたナイジェリアしかり、地域紛争が延々と続くコンゴ民主共和国しかり。
そしてどっと疲れてヨハネスブルク北郊の旧白人居住区、サントンの自宅に戻ると、思い出したようにソウェトの友人たちを訪ね、ズールー語の手ほどきを受けた。が、じっくり腰を据えて学べなかった。
拙著『絵はがきにされた少年』(2005年)はアフリカを舞台にした11の短編集で、表題作は旧英領レソトの76歳の老教師の話だ。1930年代、南アフリカに取り囲まれた小国レソトで少年時代、クリケットをして遊んでいたとき、黒い機械を手にした英国人が通りかかる。彼らに、そのまま遊ぶように言われ、少年たちはずいぶん長い時間、ポーズをとらされる。「こっちを見るな。自然に、遊び続けろ。見るな」などという彼らの注文に従って。
それから20年近くがすぎたころ、彼は首都の英国人事務所で大判に引き伸ばされた自分の子供時代の写真を目にする。「あのとき、英国人は写真を撮っていたのだ」。老教師は自分の姿に驚愕し、その絵はがきをどうしても欲しくなり、国境に向かう。
そんな昔話を根掘り葉掘り聞き出す私に老教師は、こんなことを言う。以下、少し長いが、一部を略して引用する。
<「あの英国人も、これまで見た外国人も、それにあなたも。この国にやってきて、ほんのわずかの時間ですべてを見てしまう。おそらく二、三日でこの小さな国の大方のものを見てしまうでしょう。私たちが一生かけても見ないものを。そして、帰ってから本を読んだり、人から話を聞いてより詳しく理解しようとする。大したものだと思いますよ」
どう答えていいのかわからないでいると、老教師はこう続けた。「でも、私たちにはそれができない。どうしてだと思います?」
「………やはり金銭の問題、貧しさでしょうか……」
私はいたたまれない気持ちになった。しつこく老教師から話を聞く自分を否定された気がしたからだ。
「私はそうは思いません。仮に我々にお金と暇があったら、どうするでしょうか。あなたの国に行ったり、欧州をくまなく歩いたりするでしょうか。そんなことしないと思いますね。多分、その山の向こうにさえ滅多に行くことはないでしょう。普段と大して変わらない暮らしをしている気がします。あの山の向こうのことを知りたいとも思いますが、それより、家族や友人たちとうまいものを食べ、話をしている方がよほどいい。気質でしょうかね。わざわざ知らない土地に行って、新しい物を探すより、この辺の古くからの知り合いとのつきあいを深める方を選ぶ気がします。すぐそこにいる友人が何を考えているのかだって、わからないのですから」>