2024年6月17日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年11月12日

 関東学生アメリカンフットボールリーグ。奥寺が1~3年生までの早稲田大学は、法政大学に負けてシーズンを終えていた。最後の年こそは、打倒法政大学を遂げてリベンジを果たしたかった。しかし、早稲田大学は関東1部リーグAブロックで日本大学に敗れて2位。関東1部リーグBブロック1位の法政大学とは対戦することなくシーズンを終えた。4年生の奥寺はそれを最後に引退した。

 悔しい思いを抱えたまま卒業を迎えたのである。

「遠慮というのは単なる甘え」

 教員免許を取得するため大学院に進んだ。

 スポーツばかりやっていた奥寺は、これまで聴覚に障害を持った人たちにあまり接したことがなかった。アメリカンフットボール引退後に聴覚障害者の団体と交流するようになって、初めて聞こえない人同士がどのようにコミュニケーションを取っているのかを知った。

 「聞こえない人の中にも色々な人達がいて衝撃的でした。コミュニケーションの方法もいろいろあったんです。手話、指文字、読話、筆談など、ここで相手に合わせてコミュニケーションの取り方を工夫していくことを学びました。もともと聴覚に障害を持っている人たちと一緒にスポーツしてみたいと思っていたところ、大学で知り合った手話通訳の方からデフラグビーを紹介されたのです」

デフラグビーをはじめて、またスポーツを通してコミュニケーションの大切さを実感した (提供:奥寺さん)

 しかし、チームに加わってみるとコミュニケーションという点ですぐに壁にぶつかった。

 「かみ合わないんです。競技中でも、相手が聞こえる方の場合は僕が何かを話せばそれを聞き取ってくれますが、お互いに聞こえないと理解し合うのにかなりの努力が必要になります。でも、かみ合わない中で、お互いに頑張って意思疎通を図っていくところに楽しさを感じました。それが仲間意識を強くしたのだと思います。スポーツの素晴らしさを感じました」

 奥寺はデフラグビー転向2年目にして日本選抜のバイスキャプテンとして、オーストラリア選抜戦に出場した。このデフラグビーの活動の中で「もっとアタマを使って積極的にコミュニケーションを取らなければいけない」ことを教わったと振り返る。

 この気づきが、もう一度アメリカンフットボールにチャレンジしようという決心に繋がっていった。


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