2024年11月25日(月)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2013年11月12日

 「フォーメーションの一つひとつには意味があって、作戦にそってフォーメーションや動き方を細かく決めていくんですが、ミーティングではその意味を説明してくれました。本当はその意味を理解しなければいけないのに、細かなニュアンスを理解していなかった僕は全てを丸暗記しようとしていました。だから応用がきかなかった。理解するためには、もっと自分から聞きにいかなきゃいけなかったけれど、一対一で聞くのとは違って周りがいることですから、何度も聞くのは悪いかなとか、迷惑を掛けてしまうんじゃないかと遠慮してしまいました。それが先輩たちからは、僕にやる気がないと思われてしまったのかもしれません」

(提供:奥寺さん)

 やる気もあった。やれる自信もあった。にもかかわらず耳が聞こえないこと、言葉が明瞭でないこと、さらには周囲への配慮が遠慮というブレーキとなってお互いの心に溝を作ってしまった。

 また、ヘルメットとマウスガードも意思疎通の阻害要因となった。聴覚障害者は相手の口元の動きを見て理解するのだが、ヘルメットとマウスガードでその口元が見えないのである。

 アメリカンフットボールはコミュニケーションのスポーツと言われている。千変万化するフィールド上で、数百もあるフォーメーションを使いこなすには緻密なコミュニケーションが必要だ。たとえ聴覚や言語に障害がなかったとしても100%意志の疎通が出来るとは限らないのだから、防具を付けてぶつかり合う相手以上に高次の戦いを強いられていた。

 奥寺はそんな状況に半ばあきらめもあったと言う。その思いは学年が上がるにつれて強くなっていった。

 「いま思えばもっと積極的にフォーメーションの理解を深めたりサインのことを聞いたり、コミュニケーションを深めておけばよかったと思うんです。先輩たちも僕にどんな接し方をすればいいのか、わからなかったのだと思います」

 奥寺がスターターとして試合に出られるようになったのは大学4年からだった。キックオフやパントというシーンで登場する「スペシャルチームプレーヤー」としてである。奥寺は距離のある相手プレーヤーとトップスピードでぶつかり合うハードなタックルを必要とするポジションで活躍した。

 コミュニケーションが苦手な分だけ他の部分で努力しなければ認められない。試合に出るため、激しくぶつかり合うところで身体を張って見せ場を作った。そこが奥寺らしさの証明だった。


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