「人が戻っていません!だから不正解!」と、現場の努力と実感との詳細を見ようとせず、いつまでもこの認識のままでいることに意味はない。解きようのない問題を勝手に設定し、それが達成できないから「まだ何も進んでいない」などと深刻な顔をしてみせる─。復興にまず欠かせないことは、そんな不毛かつマッチポンプ的なゲームの繰り返しから抜け出すことだ。
実は重要な2024年度
問われる「結果」と復興への道筋
復興庁が閉鎖される30年度というタイムリミットは着実に近づいている。
行政の予算は5年ごとに大きな見直しが入る。逆算すれば26~30年度が最後の5年となる。つまり、24年度が幕を開けた今、最後の5年間の方向性を決め、必要な調整に乗り出すことが求められている。24年度というのは一見、中途半端なようで、実は、復興への道筋をつけるための、最初の一歩と位置づけられる重要な年である。
ざっくりとした予算感を示せば、被災地全体に対する復興予算は30兆円規模、それとは別に原発事故の収束に関わる廃炉や除染、賠償が20兆円規模である。これらを単なる「費用」ではなく、後世の人々から「あの投資があったからこそ、今の新しい日本が生まれた」と評価されるような「投資対効果」をどう生み出すかがポイントになる。
政府が目指す「創造的復興」の中核拠点と位置づけられ、最後の大規模復興事業とも評される福島国際研究教育機構(F−REI)が昨年度、浪江町に事務所を設置し、これから本格始動していく予定だ。F−REIは、「科学技術力・産業競争力の強化を牽引し、経済成長や国民生活の向上に貢献する」ことが期待され、ロボット分野やエネルギー分野での研究開発や人材育成を目指している。もちろん、茨城県の筑波研究学園都市などに見られるように、研究・開発資源と「知」が集積した地域が日本を支え、活気づいた事例があることは間違いない。
ただ、このF−REIに限らず、「創造的復興」の結果をいよいよ示さなければならない時期に差し掛かっている。その他にも政府は「イノベーション・コースト構想」と呼ばれる、福島沿岸部をさまざまなイノベーション創出地に変えていく形の復興を掲げてきた。ただ、そこで何が生まれたのかは、いまだに不明確だ。
例えば1923年の関東大震災後の都市計画には、橋梁の建設技術などをはじめとした、当時の最先端の実験的なアイデアが多数組み込まれており、意識させないレベルでも現代人の生活を支えている。
決して肯定されるべきものではないが、戦時下の「総力戦体制」、あるいは「1940年体制」など、2011年当時にはそうしたものがイメージされていたのかもしれない。しかし、私たちはこの13年間で行われてきた「壮大な実験」のアウトプットに対して明確な統一的イメージを持てていないのが現実だろう。
福島以外も含め、被災地にはインキュベーション施設、コワーキングスペース、コミュニティーカフェなどのハコモノや地域アートの勃興など、一見、目新しいと思える動きが見られる。しかし、それらができた当初には、「これが日本の最先端」かのような期待がかけられたが、気づけばいたるところに類似のものが並んでいる現実もある。全てを一概には否定できないものの、そこからいかなる結果が出たのかは厳しく問われていくべきだろう。
また、現在の福島の姿を直視せず、ただ「外部」の人間による思いつきのような発想や理想、ヒトやカネに振り回されることがあってはならない。復興の主役となるべきは、静かで、地味であっても淡々と日常の中で成果を出していく「地元」の人々であるはずだ。誤解を恐れず踏み込んで表現すると、この当たり前の考えが国民の間で共有されず、福島を「巨大な実験場」にしていた現実がもしあるとすれば、残された時間で軌道修正を図る必要もあろう。