災害の風化を防ぐため、
「外部」ができること、すべきこと
福島における復興の「成果」の上がり方は、冒頭の能登半島地震のそれにも通じる。能登半島地震をめぐっては、復興に対するリソースのかけ方にさまざまな声があがり、実際に予算も報道も、3・11に比べれば小規模なものにとどまっている。これは日本の国力の衰退と全くの無関係ではないだろう。
だが、災害大国とも呼ばれる日本で、今後一切の地震や天災が起きないということはあり得ない。だからこそ、あるべき「復興」についても考え続けることが重要だ。
その意味で、外部だからこそできることもある。特に災害復興の「初期段階」においてはヒト・モノ・カネを外部から導入することは不可欠である。だが、それが持続する中で生まれる復興特化型経済をいかに持続可能なものに切り替え、どうしたら「あの初期投資があったからこそ」と後々にも評価される「成果」を出せるのかが重要である。
福島の復興の成果が見えない中で、能登半島地震に対する支援の先細りがあるのだとすれば、今後発生するであろう大規模複合災害などの復興も、より後ろ向きな声であふれる可能性も否定できない。だが、例えば、途上国支援や経営が傾いた企業の再建などと同様に、外部からの〝良質な支援〟は、数は限られつつも確実にあるはずだ。
まずは、課題を見る「解像度」をあげることが必要である。前述のとおり、メディアが描く被災地の姿はステレオタイプの焼き直しに陥りがちだ。同じことは政府・行政レベルにもいえる。前例踏襲主義や事業の縦割り構造、頻繁な人事異動などの中で知見が継承されない結果、的はずれな現状認識がまかり通っていることもある。
常に新しい現実があることを「知ろうとすること」が風化を防ぎ、次世代につなげる上では不可欠である。加えて、震災当時の記憶がない世代が、この問題に新鮮味を感じ、既存のプレーヤーが持ち得ない感覚と発想で課題に迫れるよう彼らのアイデアを取り込むことも肝要だ。これまでの常識を常識としない人々の感覚と発想こそが、固定化して閉塞感に包まれつつある福島の、あるいは被災地の現状を変えていくのかもしれない。