2024年7月25日(木)

冷泉彰彦の「ニッポンよ、大志を抱け」

2024年7月25日

 つまり、トランプ主義という「幻想」と「現実」の間を誰かが埋めなくてはならず、その乖離の中で多くの人材が不幸な運命に陥ったのだった。コアの支持者たちは、トランプ氏の過激な言動を「エンタメ」のように面白がりながら、お行儀の良い演説をしたり、コロナのワクチン開発に邁進したトランプ氏の姿にはソッポを向いていた。つまり、トランプ主義はどこまで行っても、過激なファンタジーであり、現実とは相容れないものだったのである。

 ところが、バンス氏という稀有の頭脳が参画することで、この問題は劇的に転換する可能性が出てきた。バンス氏は「20年に当選したのはバイデンではなくトランプ」という立場を含めてトランプ氏の主張を丸呑みしている。だが、オウム返しに過激な主張をするのではなく、ロジックを隅から隅まで理解し、咀嚼したうえで、再構築してこれを語るのである。

 では、バンス氏の解釈でトランプ主義が全て現実世界と折り合っているのかというと、そうではない。過激な部分は依然として過激であり、ファンタジー的な部分は残る。けれども子供たちを含めたこれまでの側近とは違って、トランプ氏のファンタジーをそのまま喋るのではなく、また妙に弁解がましく説明するのでもなく、独特の話術と論理で説得力を付加してしまうのだ。

 例えば、英国における労働党政権の発足にあたってバンス氏は「核武装したイスラム国家ができてしまう」などと放言している。無茶苦茶な内容に聞こえるが、人種の多様性など「ウォーク(ポリコレ)」思想に囚われた英国労働党の方向性は、世界を不安定化しかねないという中長期的な警告をポピュリズム的な放言に託して言っているという解釈は可能だ。

日米安保見直しの危険性も

 バンス氏の政策論の中で極めて警戒しなくてはならないのは、NATOや国連の位置づけを相対化しかねない「トランプ流の新孤立主義」を、さらに理論的に強化しつつある点だ。例えばオハイオでの上院議員選の選挙戦では、ウクライナにおけるロシア機への「NFZ(飛行禁止区域)」をNATOが設定する案を猛然と批判している。

 具体的には「NFZというと格好良いイメージがありますが、実際にはロシアとNATOの戦闘を惹起しかねないし、それは自動的に米国の参戦を意味します。しかし、私はこの問題は米国の核心的な国益ではないと思うのです」などと、理路整然と述べている。

 とにかく海兵隊における軍務の経験に基づいて、しかも極めて優秀な頭脳を駆使して、トランプ氏の主張する「NATOなど同盟国へのコミットを見直す」という政策にどんどん理論的な筋を通していっている。彼の頭脳が例えば日米安保見直し論などに向けて論理展開を開始したらと思うと、恐ろしいものがある。

 恐ろしいといえば、バンス氏は演説巧者でもある。演説していて聴衆が熱狂し、「JD、JD……」だとか、あるいは「USA、USA……」などとコールを始め、それが止まらないことがある。そうした場合に、多くの政治家は困惑したり照れたりする。オバマも、バイデンも、そしてトランプもそうだ。

 だが、バンス氏の場合は、自分も壇上からコールに唱和してしまうのだ。とにかく、聴衆の盛り上がりを遮るのではなく、そこに自分を乗せてしまうというのは、並大抵の政治家のできる技ではない。

 冷徹に自分の立ち位置を見据えて、野心のために何をすべきかを知っているだけでなく、恐らく自分こそ忘れられた庶民を代表しているのだ、という自己暗示もかけているのであろう。恐ろしいというのはそうした意味だ。

 しかも、何と言ってもバンス氏は若い。1984年8月生まれの39歳である。妙な例えだが、小泉進次郎氏よりも、石丸伸二氏よりも若いのだ。

 2000年以降に成人した紛れもないミレニアル世代でもある。カマラ・ハリス氏が民主党の若返りを実現したと言われているが、そのハリス氏より20歳も若いのであり、これはトランプ氏の高齢を補完して余りある。


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