このような事態が、やはり「常に集団の一員として働く」という社会主義体制下でも起きていると想定されるのですが、これが、資本主義では発生しにくいのです。
ショッカー戦闘員が「打倒・仮面ライダー」を果たすには?
資本主義経済の下では、誰もが自由に商売をする権利があります。集団の一員として働き続ける義務はなく、誰でもいつでも自由に独立していいんです。そして独立して仕事をしている人は、自分の貢献はプラスにせよマイナスにせよしっかり報酬に反映されます。自分のパフォーマンスがそのまま組織の成果です。他者の関わりも自由に制御できます。でも自分がやらなきゃ誰もやらないので「誰かがやるだろう」の発想は出て来ません。
そのような環境であれば、社会的手抜きは発生しないんです。自分が唯一無二のポジションに就いて主体的に活動する場においては、全力を出そうと思ったら本当に100%の全力が出せるんです。
その点では、私は自分が「フリーランスの作家」という独立したポジションで本当に良かったと思っています。なにしろ社会的手抜きが発生せず、自分の全力を100%発揮できる仕事ですからね。
えっ? それにしては本がたいして面白くないって……? うるせえなっこれが俺の100%じゃっ!!! 自分の力を1%も余すことなく発揮した結果がこれじゃ!!! 他の作家とグループで一緒に原稿書いたらもっとつまらなくなるわっ(涙)!!!
まあまあ、落ち着いて。はい落ち着きます。ううっ……(泣)。
もちろん、資本主義の社会でも誰もが独立するわけではない……というか割合としては独立しない人の方が多いわけですが、資本主義ならば、組織のあり方もそれぞれの組織が自由に決めていいんです。社員に揃って同じ仕事をさせる義務もなければ給料を揃える義務もない。社会主義のショッカー集団開発公社では戦闘員を全員まとめてヒーローにぶつけるだけですが、資本主義のショッカー株式会社では、各道路や建物ごとに戦闘員を1人ずつ配置し、各々に自由に攻撃方法を考案させ、ライダーを倒したり腕をもぎ取ったりすればしっかり成果に応じた報酬を与える、というような方針を取ることができます。
各自が「俺こそがライダーを倒してやるぜ!」という向上心を持てば、創意ある戦闘員は空前絶後のすごい武器や超絶怒濤のやばい罠を発明して(詳細は不明)、悪の組織界にイノベーションをもたらすこともありそうです。そのように自由を尊重するショッカー株式会社の下では、戦闘員はまるで一人一人が単独の怪人になったかのように、100%もしくはそれ以上の頼もしい力を発揮してくれることでしょう。
この戦闘員の力が現実世界での「国民の労働への意欲や生産性」だと考えれば、資本主義が経済面においてどれだけ強い制度かということがイメージしていただけるのではないでしょうか?