2024年7月30日(火)

BBC News

2024年7月30日

ジェイムズ・フィッツジェラルド パリ

オリンピック(五輪)が始まる前、パリ市民の一部はぶつぶつ文句を言っていた。五輪が始まるまでの数週間、地元住民は治安と混雑の問題を特に気にしていたし、ただでさえフランスの政治が揺れ動いていたからだ。

さらにひどいことに、26日にはフランスの鉄道網を狙った連携攻撃が相次ぎ、何十万もの人々の旅行計画がだめになった。

しかし、活気あふれる華やかな開会式に続き、大会が始まってすぐにフランスにメダル・ラッシュが訪れたことから、市内では多くの人が、地元開催の五輪を前向きに受け止めるようになった。

そして雨雲が晴れた今、フランスが特に必要としている一体感を大会がもたらし始めていると、そう評価するパリ市民も出始めている。

フランスが大会初の金メダルを獲得した朝、パリの13区に設置されたファン・ゾーンにようやく日が差した。そこでは、カップルや家族連れがデッキチェアにリラックスして座り、巨大スクリーンを眺めていた。

マックスという名の男性は、7人制ラグビーでフランス男子が勝ったことに大喜びしていた。

「とても誇らしい気持ちになった。ただ僕はもともと、どんなオリンピックでもわくわくする。そうじゃない人たちもいるけど」

今回のスポーツの祭典がどういう雰囲気のものになるか、まず形にして示したのは開会式だった。実によどみなくスムーズに進行したことに、地元民の多くが驚いたようだ。

聖火を手にしたジネディン・ジダンさんが、壊れた地下鉄に乗っている姿をあらかじめ撮影しておくなど、芸術監督のトマ・ジョリさんは、式典で何かトラブルが起きる事態を事前に想定していたようだ。

「あの開会式を見た人はみんな、意見が変わったと思う」と、サイクリストのピエールさんは話した。ピエールさんはそれまで、市内のあちこちが警備のために通行できなくなり、いらだっていたのだという。

「オリンピックにあまり期待していなかった。正直言って、むかついていた。でも今では、とてもクールな雰囲気だと思う」。ラグビー好きのヴァンサンさんはこう話した。

26日の開会式は雨天決行で、強い雨は週末にも続いた。それでもパリの人たちの気分は、落ち込んだりしなかった。

雨をものともしない自転車競技の選手たちが、タイムトライアルでパリの通りを猛スピードで走り抜ける様子を、沿道に並ぶ人たちは大声で応援した。国歌「ラ・マルセイエーズ」の合唱が、自発的にあちこちでわき起こった。

上層階のアパルトマンに住む人たちは自宅の窓から通りを見下ろし、他の住民はもっと近くから見ようと沿道のいろいろなものによじ登って、不安定な姿勢ながらも、自転車競技を観戦した。警官たちも記念写真をついつい撮っていたし、自転車に乗った配達員でさえ、あちこちの通行止めに明らかに困惑しながらも、しばし止まっては試合の様子を眺めていた。

アイスクリーム売りのルドヴィッグさんはこの試合の最中、サンジェルマン大通りにスタンドを出していた。雨のせいで売り上げは思わしくなかったものの、オリンピックがパリにもたらした「美しい雰囲気」が何より大事だと話した。

そして大会の冒頭でフランス代表が立て続けにメダルを獲得したこともあり、楽しい雰囲気は開会式の後でもこのまま続きそうだと、そう思えるようになった。街を歩いている人たちは、バーのテレビをひょいとのぞきこんでは、メダル獲得に惜しみなく拍手を送っている。

フランスで愛され続ける漫画のキャラクター、「アステリックス」と「オベリックス」に扮した二人の柔道ファンは、フランスの文化と一体感を見事に表現する大会になっていると話した。

シャン・ド・マルス・アリーナの外にいたトマ=フェリクスさんとセバスティアンさんは、フランス代表のルカ・ムハイジェ選手が男子60キロ級の決勝で敗れてしまったのは残念だったが、少なくとも周りにフランス人が大勢いたので、「みんな一緒に泣くことができた」と話した。

政治以外の話題がニュースに出るようになったと喜んでいるパリ市民もいる。大会期間中に路上演劇の上演を企画しているカロリーヌ・ロワールさんは、スポーツの祭典のおかげで自分たちは「一息つく」ことができると話した。

フランスでは議会選が終わったばかりだ。第1回投票で極右「国民連合」が勝った後、急きょ団結した左派連合が決選投票で勝利した。これはほんの数週間前のことだ。

今のフランスを治めているのは暫定的な政府で、国の未来は不透明だ。

「マクロン(大統領)は、私たちが政治のことなどすっかり忘れてしまえばいいと思っている。でも、私たちは忘れない」と、美術を学ぶアドリエンヌさんは話す。卓球の試合を観戦して盛り上がったのだというアドリエンヌさんは、「私たちはスポーツマンやスポーツウーマンの活躍を楽しむけれども、(政治を)忘れたりしない」と強調した。

アレクサンドルさんは、今の五輪が何か長期的な意味でフランスを奮い立たせるとは、あまり思えないと話した。それでも、フランスに「何ができるか」世界に示す良い機会だと思うとも言う。26日の鉄道攻撃があっただけに、フランスの能力を示すのは重要だとアレクサンドルさんは言い、「重大な局面」だと話した。

オリンピックによって多くのフランス人は一時的にでも、国の様々な問題について考えるのをやめるかもしれない。だとしても、パリの全員が大会を歓迎しているわけではない。

「私は盛り上がっていない。パリが五輪にふさわしい場所だとは思っていない」と、学生のメリッサさんは言う。五輪のために集まる大人数に対応するには、別の都市の方が適していたはずだと考えているからだ。

パリを訪れる人があまりに増えすぎれば、市内のインフラは耐えきれなくなるのではないかと、かねて懸念されていた。しかし、街の中心部にいると、道路の一部は実は奇妙なほどに静かだ。一部の地下鉄駅でさえ、同じように静かだ。もしかすると、パリ市民の多くが夏の間はこの街を脱出することにしたからかもしれない。

セーヌ川に浮かぶサン・ルイ島は、開会式のために一時、立ち入り禁止になっていた。27日になっても一部のバリケードが残っていたし、訪れる人は少なめに見えた。

開店中の店舗の人たちは、ふだんの住民がいなくなった分の商いを、五輪がもたらす観光客で埋め合わせできるのか、まだわからないと話す。五輪開催はフランスにとっては朗報だったが、「商売にとっては良くない」と話すレストラン関係者は、空席のままずらりと並ぶテーブルを指さした。

パリ市内を南へ移動すると、カルチェラタンのバーやカフェを物色する見物客や大会関係者の姿がちらほら見えた。ただし、「オランピエ」という名前のギリシャ料理店は店を閉じていて、それがひときわ目立った。

「オリンピックをパリでやる。それはあまり大事なことじゃない」と、とあるビストロ・オーナーのジャン=ルイさんは、客の呼び込みをしながらそう話した。

「オリンピックを通じてフランスを見たと思っても、それは現実じゃない」とも、ジャン=ルイさんは言った。それよりも、何百万人もの人が困窮していることのほうが大事だと。なにより「オリンピック大会は、僕に食べ物をくれるわけじゃない」。

(英語記事 Parisians’ Olympic spirit not dampened – but grumbles remain

提供元:https://www.bbc.com/japanese/articles/czvxqx1e8e9o


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