疑惑が報道の段階を過ぎ、司直の手に委ねられる段階になり、本人が離党、あるいは議員を辞職するに及ぶや、「重い決断」と好意的な評価を示す。やがて時が過ぎ、次の総選挙が現実の政治日程に上る頃になると、“政治的みそぎ”を済ませたとして再び党公認となって出馬することになる。
過去の事例を思い起こしてみても、やはり自民党の作風は林語堂の表現に倣うなら、人情を法制の上に置いている。たしかに惻隠の情という言葉もあるが、それが過ぎるからこそ「政治家不信」を招くことにつながるのではないか。
「政治村」の言葉は「素朴な常識を持つ人々」には理解されない
林語堂が『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』を出版した1935年の前後を振り返るなら、満洲事変(1931年)、上海事変・満洲国建国(1932年)、共産党の「大長征」(1934~36年)、西安事件(1936年)、盧溝橋事件(1937年)と激動の時代だった。
彼は時代の荒波に翻弄されながらも強く生き抜く中国民衆の赤裸々な生活を描いた長編小説『大地』の作者で、1938年にノーベル文学賞を受賞したパール・バック(1882~1973年)の強い要請を受け、「素朴な常識を持つ人々のために本書を書いた」と「序」で明かす。
林語堂が中国の「素朴な常識を持つ人々」に語り掛けてから1世紀余が過ぎ去ろうとしている現在の日本の政治状況に、『MY COUNTRY AND MY PEOPLE』の指摘が当てはまるのだから、やはり異様としかいいようはない。あるいは現在の自民党を取り囲む日本の政治状況は、1世紀ほど昔の混乱期の、それも無政府状態に近かった中国に通じるということだろうか。
こう考えると、現在の我が国が陥っている政治の貧困・劣化は、想像を絶するほどに深刻なのかもしれない。あるいはそれは、政治報道に携わる新聞・TV記者、政治ジャーナリスト、政治アナリスト、TVのニュースショーに登場するコメンテーターやら専門家、さらには政治を研究する学者・研究者など――敢えて「政治村の住人」と括っておきたい――が分析し得々と語る程度を遙かに超えていると思える。
じつは「政治村の住人」は仲間内でしか通じない特殊な日本語を、「彼らの文法」で話してからいるゆえに、現在の日本の「素朴な常識を持つ人々」には理解されないのだ。であればこそ我が国が落ち込んでしまった苦境を克服できるような処方箋は、「政治村の住人」であったとしても、おそらくは容易には書けないだろう。
だが、だからといって国民の1人としては、敗戦直後の混乱期に太宰治が呟いたように「落ちるところまで落ちるしかない」と振起させる精神的強靱さを持ち合わせてはいそうにない。であるなら、ここは「素朴な常識」に立ち還るのが唯一確実な道だと強く思う。日暮れて道遠し、の感は否めないが。