2024年11月21日(木)

「永田町政治」を考える

2024年9月29日

 振り返ってみれば、池田にとどまらず、かつての政治家はスケールがいまとは桁が違った。 池田の前任者、岸信介は多くの反対を押し切って日米安保安条約を改定、日本の真の独立回復を果たしたし、池田の後任、佐藤栄作は、不可能と思われていた沖縄の本土復帰を実現した。

 21世紀に入ってすでに四半世紀。各国とも、いまだに、この世紀をどう生きていくかという命題への解答を出しあぐねているようにみえる。

 この時にあって、太平の夢をむさぼっていた時代に「調整」だけを得意とした指導者には、もはや用はない。

永田町政治脱却の萌芽みられたが……

 今回の総裁選に求められた大きな課題の一つは「新生・自民党を国民の前に示すこと」(岸田首相)だった。その萌芽もいくつかみられた。9人という多数にのぼった立候補者と派閥を横断した推薦人の顔ぶれだ。

 従来の総裁選では、候補者はほとんどが派閥のリーダーに限られ、擁立できない場合でも、派閥単位でだれを支持するかが決められていた。候補者の数は絞られ、同じ派閥から複数出馬するという事態はあり得なかった。

 今回は実に9人、旧岸田派、旧茂木派からは2人が出馬、推薦人を見ても無所属を除いて旧派閥5派から集めた候補もいた。

 派閥支配の終焉、自民党の変化の予兆ともいうべき現象だった。選挙期間も過去最長の15日間にわたり、それなりに政策を披歴しあう機会もこれまで以上に増えた。

 しかし、政策論争の物足りなさに加え、選挙戦を通じて、派閥政治、旧弊から脱却しきれない実態を感じさせた事実も指摘される。

 各候補の〝長老詣で〟は目にあまるもがあった。石破新首相自身、投票日前日には、これまで距離を置いていた麻生太郎副総裁、二階俊博元幹事長を訪ね協力を要請したと伝えられたが、なりふり構わぬというべきだろう。

 総理大臣まで上り詰めた超大物議員が、特定候補の応援で街頭演説に立ったり、時代の要請に反して堂々派閥を維持、研修会で自派出身の候補への支持を訴えたりしたのも改革の動きを帳消しした。キングメーカーをめざしたのだろうが、首相経験者たるもの超然としているべきだろう。

 有力候補だった現職閣僚は、総裁選管理委が禁止しているにもかかわらず、多額の費用をかけて政策リーフレットを党員に送付、注意を受けると「禁止が決まる前に発送していたので問題ない」と開き直った。 この候補は推薦人の中に、裏金問題で処分された議員が多数含まれていることを指摘されると、「選対に任せていたので、知らなかった」と子供だましにもならない見苦しい説明を繰り返した。

 あまりの不誠実さ、指導者として資質に欠けると眉をひそめた国民も少なくなかったろう。

解散日程の議論は時期尚早

 何よりも驚いたのは、次期首相・総裁が決まる前に、衆院の解散・総選挙の日程が取りざたされていたことだ。

 岸田文雄首相が8月14日に退陣を表明した直後から「10月27日投票」説などがささやかれていたが、小泉進次郎氏が選挙中、「できるだけ早期に」との意向を示したことで、一気に現実味を帯びた。

 対立候補の中には、新首相の所信表明、与野党の代表質問、衆参での予算委員会を短時間行い、そのうえでの解散をと主張する向きもあったが、いずれの主張も五十歩百歩だろう。 一日程度の予算委員会の論戦では国民に新首相の政見を提示するにはあまりに短い。臨時国会、通常国会での長丁場の論戦、予算編成などを通じて初めて国民に、その考えが伝わる。


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