徐々に仕事の幅も広がると、このままニュージーランドにいるのがもどかしくなってくる。ロスに戻りたい気持ちがまたくすぶり出していた。
「生活の安定ならニュージーランドにいるほうがいいんですけど、やっぱりハリウッドに行きたい。O1ビザ*も取れたし、5年ぶりに思い切ってロスに戻ったんです。でも仕事がない。その年は年収8万円でした。ニュージーに出稼ぎに行くしかなくて……。また安定か夢かで揺れちゃって。困っていると知ったかつての仕事仲間が仕事を回してくれたんですが、今度はビザが切れそう。キアヌ・リーブスや真田さんが出る『47RONIN』の撮影に参加するためにロンドンに行ったけど、ビザ申請中で却下されたらアメリカに帰れないかもしれない。そんな状況の時にハイワーク部門の最優秀賞をいただけて、それでグリーンカードにつながったというわけなんです」
痛い思いだけではなく、生活不安やビザ問題や家族の危機に右往左往しながら、18年間日本に帰らずに道なき道を歩き続けるのは並大抵のことではない。やめたいと思ったことはなかったのかという問いに、南はこう答えた。
「生き延びてこられたのは自分でも奇跡としか思えない。でも、やめて何をする? と自分に問いかけてみても何も答えが出なかった。だから前を向くしかなかったんです」
今回の来日は、東京タワーを背景に増上寺でのアクションシーンや新宿、秋葉原、福山市など本格的日本ロケを敢行した、ヒュー・ジャックマン、真田広之出演のハリウッド映画「ウルヴァリン SAMURAI」のDVD発売に向けた、6カ国16のメディアへのアピールイベント参加のため。スタント代表として20世紀フォックス本社の広報から直接依頼されてのプレゼンで、責任は重い。翌月には真田広之のスタントダブルで起用された「47RONIN」が公開された。
南の人生を決めたともいえる真田広之とは、「ウルヴァリン」「47RONIN」で続けてスタントを務めた。南が手帳から2枚の写真を取り出す。1枚には映画「里見八犬伝」の時の真田と1人の少年が写っていた。30年前、JACのほかに乗馬センターにも所属していた南が、撮影現場で手伝った時に撮ってもらった13歳の時の記念写真。もう1枚は、国際俳優とスタントマンとして一緒に映画にかかわった時のツーショット。
「子どもの頃に真田さんにあこがれてこの世界で生きてきたこと、言えませんでした」
表舞台より裏方が好き。だれも知らないけれど実は自分がやっているという自己満足がカッコイイと思う。そう言うと、文字通り生きるか死ぬかの修羅場を耐えてきた男は、思い切り不似合いな、はにかんだ笑顔を浮かべた。
*科学、芸術、教育、ビジネス、スポーツの分野で卓越した能力を有する者に発給される米国のビザ
(写真:赤城耕一)
南 博男(みなみ ひろお)
1970年、京都府生まれ。日本正武館、JAC京都養成所などを経て96年、スタントマンをめざし渡米。得意の空手を生かし人気テレビシリーズ「パワーレンジャー」などで活躍、映画へと活動の場を広げる。2010年、「トーラス・ワールド・スタント・アワード」で日本人初のベスト・ハイワーク部門最優秀賞を受賞。13年公開の映画「ウルヴァリン SAMURAI」「47RONIN」では真田広之のスタントダブルを務めた。
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