三阪:僕らも全国大会を目指して毎日激しい練習をしていました。そんな中、事故は高校3年生の6月に起きました。こぼれたボールに飛び込んで、ボールを抱えて起き上がろうとしたときに他の選手が倒れ込んできたんです。首の骨を脱臼骨折して頸髄損傷という大事故になりました。
すぐに救急救命センターに運ばれて緊急オペです。集中治療室で目を覚ましてから後の約3カ月間は寝たきりでした。ある日突然身体を動かすことができなくなり、寝返りも打てず、自分でご飯を食べることすらできなくなりました。のどが渇いて飲み物を取ろうとしても落としてしまったり、何をするにもナースコールをしなければならない辛い毎日を送っていました。
初瀬:その辛さはよくわかります。僕の場合は身体は動いたのですが、視力を失ったので何もできなくなってしまったんです。やりたくても自分では何もできない辛さ、あの頃は何をやろうにも落ち込む一方でしたから。
三阪さんが最初に手を動かせるようになったのは入院してどれくらい経ってからですか?
三阪:自分の意志で何かアクションを起せるようになったのは2カ月くらい経ってからでしょうか、それでも指がほとんど動かなかったので、手のひらを使ったりして……。でもまだ何もできないのと同じような状態です。
首の骨が固まるまではベッドで寝返りをして、というか、させられて、テレビを見て、そのほかは何もしないで1日が終わっていく毎日でした。
初瀬:少し落ち着いてきて回復期に向かうその時期は精神的にも不安定でとても難しい頃じゃないですか。自分でもそれをコントロールできないだろうし、人に会うのも煩わしいし、かといって一人でいても先々のことを考えて不安が募るばかりでしょう。
僕みたい身体が動けばまだいいのでしょうけど……
リハビリはいつ頃から始めたのですか。
三阪:首が固定したので3カ月後にリハビリ病院に転院しました。当時は何も知識が無く、元に戻るためのリハビリかと思っていたんです。でも、初日の検査で「はっきり言ってしまうと2度と歩けるようにはならないでしょう。これからは車椅子での社会復帰、日常生活に戻れるようにリハビリをしていきましょう」と告げられました。
この長かった入院中に作業療法士の先生から車椅子ラグビーのことを教えてもらい、退院してすぐにできたばかりのWest Japan(現在活動休止中)というチームに入ることになるんです。