生活保護とメディアの現在地
再び24年9月に報道されたNHKのクローズアップ現代に戻り、生活保護とメディアの現在地を確認してみよう。
番組は、群馬県桐生市で相次いだ“不適切対応”の実際と、大阪堺市を舞台とした生活保護申請の増加に苦慮する現場の対応の2部構成から成り立っている。これまでのNHKの報道と違い、「利用者」と「福祉事務所」という二つの視点から描こうと試みている。
これは、ある意味で危険な挑戦である。
悪を見つけて叩く“正義”の報道はわかりやすい。たとえば、桐生市の運用に苦しむ市民の声や桐生市の部長のインタビューに時間を割けば、「もれなく救う」という生活保護の理念や目的から逸脱した市の運用を印象づけることができただろう。
一方で、後半の堺市の就労支援に時間を割けば、「これほどまでに時間や手間をかけても効果があがらない現実があるのか」「甘い対応をすれば、利用者はどんどん増えてしまう」という危機感をあおることができただろう。
今回のNHKは、いずれの立場も取らなかった。かわりに問題にしたのは、「生活保護制度が内包する構造的問題」である。番組ではフリップを使って解説しているが、今回はWedge編集部の協力で独自の図表を作成した(図1)。
生活保護制度の目的は、生活に困るすべての人の申請を受け付けて、健康で文化的な最低限度の生活を保障すること、すなわち、「もれなく救う」ということである。同時に求められるのが「不正受給を防ぐ」ことであり、さらに国が強化しているのが、就労支援をはじめとした「自立支援」である。
「もれなく救う」という制度の理想からすれば、生活保護の要件を満たす「支援の必要な人」すべてが気兼ねなく制度を利用することができ、緩やかな階段を上るイメージで自立支援が進むことが望ましい。
しかし、「不正受給を防ぐ」ことを重視するあまり、制度の現実としては、申請時には目に見えないハードルがあり、支援の必要な人の多くが生活保護を利用していない。
各種研究結果からは、その補足率は1割から多くても3割程度とされている(一例を挙げれば、厚生労働省保護課「保護基準未満の低所得世帯数の推計について」)。オレンジに着色された「支援の必要な人」のうち、3人しか制度を利用していないというのは、別に誇張した話ではない。
また、就労支援にしても、緩やかな階段を上るというよりは、やる気もあり、病気や障害などの働ける要因の少ない「何とか仕事に就けそうな人」を、半ば無理やりに就労に引き上げている。不安定な縄梯子を登るやる気と能力のある人だけが、生活保護から自立できる。背景には、「多様な阻害要因のある人を労働市場でどう受け止めていくか」という問題があり、福祉事務所やケースワーカーだけの努力で何とかすることは難しい。
ゲスト出演した立命館大学の桜井啓太准教授は次のように語る。
「一つ一つの理念や取り組みというのは、もちろん一理あるのですが、不正受給の対策や自立支援みたいなものに傾倒してしまうと、結果的に困っている人を制度から遠ざけてしまう側面があります。」
つまり、不正受給対策や就労を強要するような政策を進めれば進めるほど、「もれなく救う」という生活保護制度の本来の目的が達成しがたくなる。「ジレンマ」ともいうべき構造があることを説明したのである。
その上でNHKは、堺市生活援護管理課の鷲見佳宏主幹による「生活保護制度に求められてきた理念と現実が、いますでに解離してしまっている」という言葉を伝える。
もれなく救うか、不正受給を防ぐか、二つを両立することが困難になっている現状を踏まえ、ではどうすればよいのかを語りかける。明確な答えはなく、わかりやすい“悪者”も登場しない。その解釈は、視聴者に委ねられる。これが、生活保護とメディアの現在地である。
これからも、生活保護をテーマに選び、わかりやすい“悪人”をみつけて叩く報道は繰り返されるだろう。しかし、私たち視聴者は既に知っている。
「そんな単純な構造で語れるほど、世の中は甘くないのだ」。