非正規雇用、ロスジェネ、女性問題などを取材するジャーナリスト・小林美希氏。国際経験が豊富なジャーナリストで現在は外国人労働者問題を取材する出井康博氏。不器用に生きる人々に密着して人生の機微を描いてきたノンフィクション作家の山田清機氏。この3人に、日本の労働問題、そして、フリーランスの立場から見た日本のメディアの今について語り合ってもらった。
編集部(以下、──)皆様もわれわれも全員昭和生まれですが、平成という時代はどんな時代でしたか?
山田 のっけからこのような話題で大変恐縮なのですが、僕にとっての平成とは、「一貫してお金がない」ということです……。とにかく、この一言に尽きます。拙著『東京タクシードライバー』(朝日文庫)の「長いあとがき」にも書きましたが、僕は大学卒業後、大手メーカーに新卒で入社しました。ただ、入ってみると、配属された職場の雰囲気が息苦しかった。ある時、社員旅行のとりまとめ役になったんですが、上司から「そもそもこの社員旅行の基本的な考え方は何か?」と真顔で言われたことがあります。「社員旅行なんだから、考え方も何も必要ないのでは?」と思いましたね。
今、なぜ、平成という時代を振り返る必要があるのか?(前編)
今、なぜ、平成という時代を振り返る必要があるのか?(後編)
1963年富山県生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業後、鉄鋼メーカー、出版社勤務を経て独立。著書に『寿町のひとびと』『不器用な人生』(朝日文庫)、『卵でピカソを買った男 「エッグ・キング」伊勢彦信の成功法則』(実業之日本社)など多数。(写真・井上智幸以下同)
そんなこんなで、しばらくは我慢して働いていたのですが、やはり、自分には合わず、1年半くらいで辞めました。1988年のことですから、平成になるちょうど1年前です。
当時、転職は一般的ではなく、会社をすぐ辞める、言葉が通じないわれわれのような若者を世間では「新人類」と呼んでいました。今のような転職エージェントもなく、転職は容易ではありませんでした。
だから、何でもやりました。時にはアルバイトとして、デパートでゴルフシューズを売ったり、植木屋をやったりして、何とか食いつないでいました。
建設現場の日雇いの仕事もしました。ある日、たまたま母校の新校舎のホールで、椅子の設置作業があったんです。そしたら、現場監督の若いゼネコン社員に「おい、人足」って呼ばれたんです。その時、ものすごい複雑な心境でした。「僕は、この大学を出ている。あなたに人足なんて言われたくない!」と。その時、「学歴に意味はない」とは言えないなと思いました。つまらない話ですが、自分の支えになっている面もあると思いました。ちょっと愚痴になりました。
話を戻しますと、その後、出版社での契約社員の募集があってそこに引っかかりました。
でも、同じ年齢でも、給料は正社員の半分でした。同じ仕事をしているにもかかわらず、です。賞与も福利厚生もない。最初は、転職することに必死だったから、待遇とかあまり考えなかった。当時は、バブルでしたから、会社の親睦会では、箱の中にお札をいっぱい入れて、つかみ取り大会をやったりしていましたが、それに参加できるのは社員のみ。僕ら契約社員は蚊帳の外でした。そういう差別対応への「怒り」をバネにして独立したんです。
だけど、僕とは違い、社員になりたくてしょうがない契約社員の人もいたんです。でも、ほとんどその道はない。そもそも人件費を節約するために契約社員って言ってるわけですから。