日系人の受け入れは、世代が進むにつれて入国のハードルは上がっている。安倍晋三元首相は「日系社会は日本の宝だ」と言ったが、それを再認識する必要があります。「Wedge」2024年5月号に掲載されている「平成全史 令和の日本再生へ 今こそ知りたい平成全史」記事の内容を一部、限定公開いたします。
日本政府が出入国管理及び難民認定法(入管法)を改正し、日系人の出稼ぎを受け入れ始めたのは平成になった直後の1990年のことだった。バブル景気によって深刻化した人手不足を緩和する目的からである。
以降、南米諸国などから来日する日系人が急増した。その中心を占めたブラジル出身者は、2000年代後半には30万人を超えるまでになった。「外国人労働者」としては今ではアジア諸国出身の「技能実習生」が代名詞だが、この頃の実習生(当時の名称は「研修生」)は10万人にも満たない。「日系ブラジル人」こそが外国人労働者の象徴だったのだ。
しかし、08年秋に起きたリーマン・ショックで状況が一変した。日系ブラジル人たちは主に自動車など製造業の下請け工場で派遣労働に就いていた。そんな彼らが真っ先に派遣切りの対象となる。多くの人が日本から去り始め、12年末には日系ブラジル人の数は20万人を割り込んだ。
その後、日本の景気は回復し、バブル期を凌ぐほどの人手不足が起きている。だが、日系ブラジル人は昨年末時点で21万1840人と、ピーク時の3分の2程度にとどまっている。一方、実習生は40万人を超え、19年に導入された在留資格「特定技能」で就労中の外国人も元実習生を中心に21万人近くに上る。とりわけベトナム人は在留者が56万人以上と、この10年で8倍にもなった。にもかかわらず、なぜ、日系ブラジル人たちは日本への出稼ぎを止めたのか──。