2025年1月5日(日)

偉人の愛した一室

2024年12月31日

「一休さん」の奥深き生き様見せる酬恩庵一休寺

 一口に奈良といっても、名所旧跡は県内各所に散在し、観光客が足を運ぶことの少ない〝おススメ〟もたくさんある。

 私が好きなのは大和郡山市。豊臣秀吉の弟、大和大納言秀長が百万石の城下町を建設した地であり、城跡にはいまも見事な石垣が残されている。2026年の大河ドラマは「豊臣兄弟」なので、いずれじっくりと紹介される機会もあるだろう。

 私がこの企画で訪ねてみたかった奈良は、京都駅から近鉄に乗って30分、伏見の先の京田辺市である。ここに誰もが知る名僧、その生き方が貴人たちをも魅了した人物ゆかりのお寺がある。酬恩庵一休寺、そう、あの「一休さん」である(「〝破戒僧〟一休が最愛の女性と晩年を過ごした酬恩庵一休寺」)。

 紅葉もあらかた終わった初冬の候、門前でお訪(とな)いを入れる。観光客は二人組の男性外国人の他に姿が見えず、ご住職の案内でゆっくりと観覧させていただく。

 禅を極めた高僧の寺らしく、境内の庭はどこも素晴らしい出来栄えである。中でも方丈の前庭は枯山水の傑作というべきで、いつまで眺めていても飽きず、徐々に心が澄んでゆくような感懐を覚える。

「一休さん」が晩年を過ごした酬恩庵一休寺の前庭

 だが、私の来訪の目的はもちろん庭園ではない。一休さん、その人と生き方である。日本一の高僧が最晩年に行った破戒の現場、若い妻との愛の巣がこの寺の奥に残されているのだ。

 そこは「虎丘庵」と名付けられた、わずか二間の小さな草庵である。77歳になった一休宗純は、湊町の盛り場で盲目の女芸人に目を止める。鼓を打ちつつ艶やかな声で唄う姿に強く心惹かれ、そのまま、寺に連れ帰って同棲生活を始めるのだ。

 
わずか二間であるが、趣のある空間だ

 寺で仕える弟子たちはさぞ驚いたことだろう。

 なにせ、応仁の乱で荒廃した大徳寺を再興した高僧であり、足利将軍家からも尊崇されるような立派なお坊さんなのだ。その人が、30になるかならぬかの美麗な芸人を妻としたうえ、二人の愛欲生活を漢詩に託し、赤裸々に謳い上げてみせたのである。まさに破戒僧そのものだった。

 だが、果たして、漢詩そのままの実態だったのか。

 ご住職によれば、草庵を寄進したのが盲目の女性信者だったという記録が寺に残るそうで、そこから生まれたフィクションでしょうとおっしゃる。その話ぶりがいかにもおっとりしていて、悪評など少しも気にされていない様子が面白い。

 京や奈良の大寺院でふんぞり返っている高僧たち、人間への探究を怠り、民衆を救う意思も失くした偽坊主たちへの痛烈な皮肉、当てこすりを詩にしたに過ぎないとする解釈を、私も否定するつもりはない。だが、人間について考え尽くした末にたどり着いたのが、一人の女性をとことん愛することだったとしたら、それはまた興味の尽きない話ではないかと思うのだ。

 この高僧の奥深い生き方をこそ知れ。


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