〝日本人〟を感じさせる白洲次郎の武相荘
この連載で多くのアクセスを得たのは白洲次郎の「武相荘」なのだそうである(「<偉人の愛した一室>白洲次郎・正子が生涯愛した「武相荘」ひたすらに住みやすさを追求」)。やっぱりこの人、人気ありますね。
連合国軍総司令部(GHQ)に〝従順ならざる唯一の日本人〟と言わしめた男、アメリカ人よりセンスよく洋服を着こなした白洲の写真は、敗戦国であっても誇りを失わなかった日本人がいたことを確かに伝えてくる。
占領期、得意の英語を駆使し、吉田茂の懐刀となって裏方の仕事を勤めた男には、とかくの陰口もあったに違いない。だが、そんな声などどこ吹く風、戦後は好きな外車を乗り回し、得意のゴルフで華麗な人脈を築いて颯爽と生きた。
そんな白洲次郎が妻の正子とともに後半生を過ごした家、洒落て「武相荘(ぶあいそう)」と名付けたカントリースタイルの邸宅が、東京都町田市の郊外に残されて多くの人を集めているのだ。
今回、初めて訪れて意外の感を抱いた。農家を買い取って改築したという外観はともかく、内部は洋風に統一されたお洒落な家だとばかり思っていた。若き日、次郎はイギリスに、正子はアメリカに留学しており、それが二人を結び付けるきっかけだったからだ。
だが、次郎が愛した客間兼リビングは確かに洋風に統一されていたが、他は和洋混然としていて、全体としては和風の趣のほうが強いように感じられた。アメリカ流カントリーライフとばかり思っていたが、二人が求めたのは古き良き日本の田舎生活であったのだ。
思えば、白洲正子が愛したのは日本の古美術の世界であり、白洲次郎が守ろうとしたのは日本の国益と日本人の誇りであった。夫妻の心底にあった〝日本人〟を見せられた思いが強く残った。