そして、この小規模で分散した復旧のかたちは、人口流出する地域でも過剰投資をせず、居住地や集落について、人口の増減に合わせて「持続させるのか」「閉じるのか」を判断しやすい。この復旧のかたちこそ、今まで実行されてきた「高度経済成長期型」への代替案を提示する。また、分散して暮らすとコストがかかるから無理やりにでも一箇所に集住すべきだといった形で必ず議論が出るものの、実際には住民全員が納得して土地を手放すことには手間や時間がかかりすぎて実行困難な「大規模集約型」の代わりにもなる。
インフラを全て「元通り」にすることを前提とする現在の災害法制を見直し、自治体が身の丈に合ったインフラ復旧のあり方を選択できるようなメニューを用意するべきだ。
被災者が被災者を支える
素人任せの災害対応を変える
次に、「被災者支援の混乱」についてである。毎度のことだが、被災者支援は惨憺たるものである。
前述の通り、能登半島地震でも避難所の床で〝雑魚寝〟という状況は大きく変わらなかったし、罹災証明の認定業務に時間がかかり被災者支援・生活再建が遅れている。
この背景には、二つの構造的な問題がある。
一つは、災害を社会的課題と捉えた際の特殊性だ。環境問題や貧困、介護、障害者の生活環境などの社会課題は、全国津々浦々、常に存在している。そのため、課題解決に向けて様々な活動が生まれやすく、問題のある法制度の改正を求める世論も生じやすい。だが、災害は「ある地域にたまにしか起こらないもの」である。一部の地域、一部の住民の課題にとどまりやすく、喉元過ぎれば熱さを忘れるで、政治家も行政も本気になれず、法改正に至らない。
もう一つは、公式的な支援者が行政、特に基礎自治体に限定され、ハード面での復旧が重視されていることだ。しかも、災害が発生した途端、企業やNPOなどが得意とする食品・生活用品や住居、福祉サービスの提供など、あらゆる被災者支援を自治体職員が担うことになる。彼らもまた、被災者であることが多く、生身の人間である。誤解を恐れず言えば、日本社会は構造的に、有事の対応の素人に近い被災自治体職員に、被災者支援を任せてしまっているのが現状だ。
この状況には、戦後すぐの1947年、連合国軍総司令部(GHQ)の下で「災害救助法」が制定された影響が大きい。GHQが経済統制を嫌い、地方自治を重視したことを受け、災害救助は国が財政上の責任をもち、民間に頼らずに自治体が中心となって執行するという役割分担がなされた。それが現在に至るまで見直されることなく続いているのだ。
以上を踏まえると、被災者支援の混乱を止めるためには次の二点を抜本的に見直し、「餅は餅屋の被災者支援」を実現しなければならない。
一つは民間企業やNPOといった政府・行政以外の担い手が「公的な根拠(財政面・体制面)」をもって自律的に災害対応に参画する「災害対応のマルチセクター化」を行うことである。平時において、人々の暮らしにかかわる財やサービスの多くは、行政ではなく、民間企業やNPOなどが供給している。例えば、日々、人々が得る食料品は、行政の配給ではなく、スーパーやコンビニで購入している。福祉サービスの多くも実際には社会福祉法人やNPO、民間企業などが提供している。
もう一つは社会保障の制度体系の中に被災者支援を位置付け、平時の社会保障の担い手が被災者支援を行う「社会保障のフェーズフリー化」だ。フェーズフリーとは身の回りにあるモノやサービスを、平時にも、有事にも役立てることができるように設計しておく考え方で、災害時は発電機・蓄電池として利用できるよう設計されているプラグインハイブリッド車(PHV)が代表例である。
これにより、介護保険法や生活困窮者自立支援法といった平時の制度を災害時にも使えるものにしておく必要がある。失業や家族問題をかかえることで生活再建が困難な「被災困窮者」など、支援が必要になる人を災害時に支える専門性を持つのは、平時の社会保障を地域で担う福祉の専門職のような人たちだ。
こうした考えのもと、大規模災害における初期対応において、被災自治体の職員が担う業務をできる限り減らし、政府や被災自治体以外の行政およびその道の「プロ」である民間に可能な限り担ってもらう世界観に発想を転換すべきだ。
当然ながら発災直後は、被災自治体の職員が災害対応に当たらざるを得ない。応援体制が整うまでには時間がかかるからだ。しかし、一定期間が経過した後は、「プロ」に移行させていくべきだ。
例えば、罹災証明書の交付には建物の損害査定調査が必要になる。現在は(素人に近い)被災自治体の職員が中心となり調査しているが、プロである民間の保険会社と協業すればスピードアップが図れるだろう。
