今季も野生のクマの跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)が話題になっている。昨季(2023年秋)はブナの実やドングリなどの果実が不作で、人里どころか都市部に餌を求めて侵入してくるクマが後を絶たなかった。人身事故も多発して、マスコミによって連日のように報道がなされた。多くの都市民はお茶の間という安全地帯で、ちょっと怖い、しかし作り話ではない正真正銘の事件を、興味津々と見ている。
ところが比較的森の樹木の果実がよくなったといわれる今季でも、秋田市ではツキノワグマが町のど真ん中のスーパーマーケットに侵入して、店員にけがを負わせ、2日間も占拠する事態が発生した。猟友会から警察まで出て大騒動したが、結局捕獲罠(檻)で御用。こんな町中のしかも店の中で猟銃や拳銃使えるわけがないのだから、慎重の上に慎重を期した対応による大捕り物となって、マスコミを喜ばせた。麻酔銃(吹き矢)を使ってもっと出際よく捕獲できると思われるが、人身の安全を最優先させた結果であろう。
学者やらコメンテーターがいろんなことを言っているが、決め手はない。そもそも生息数さえ分からないのだし、それを突き止めようとすれば、膨大な費用と人手がかかる。仮に金があっても、現代社会で日がな山中を駆け回って調査できる人材はほとんど限られている。
またクリスマス近くになって、福島県喜多方市の民家にツキノワグマが侵入し、炬燵に入っていた。そのまま居座って1泊したあと獣医の放った麻酔銃(吹き矢)で眠らされ、人里離れた山中に放たれたという。居心地のよい炬燵から目が覚めたら雪山の中。クマにとっては天国から地獄である。
秋田のケースでは、捕獲後麻酔を打たれ眠らされた後、殺処分されたとのことで、クマが可哀想だという声が県庁に多く寄せられた。その対応に追われて、通常の行政が滞るようになるとは、実に難儀な時代になったものである。
駆除がよいのか放獣なのかは、一概に結論付けることはできない。現場の環境の違い、クマの状況(性格、行動など)千差万別であるから、やはり現場ごとに判断すべきものであろう。秋田と福島での対応の違いは当然なのである。
野生動物の都市進出に至る経緯
ここでクマについては一旦おいて、野生動物全般の動向について予(かね)てから感じていることを述べさせてもらおう。
昭和の中期、高度経済成長期は日本の野生動物にとっては苦難の時代であった。急激な都市の膨張によって、平野部の農地は後退し、奥山の天然林は伐採され、動物たちが餌を摂り、安全に暮らせる生息地が大幅に狭まった。農薬の使用や公害によって食物連鎖が破壊され、絶滅の危機にさらされた種も多い。
ところが時代を経て、環境保全への社会の意識が高まり、公害対策、身近な自然環境の保護、森林の再生、鳥獣保護などが進むと、多くの野生動物の生息数は明らかに回復してきている。