②ウクライナの領土奪還は可能か
ウクライナの停戦をめぐる調整は、24年11月のトランプ氏再選が決まった時から始まり、その動きは日を追うごとに活発になってきた。ゼレンスキー大統領は1カ月後の12月、共同通信の単独インタビューに答え、ウクライナ南部クリミア半島を含む一部のロシア占領地は武力での奪還が困難だと認め、外交で全領土回復を目指す必要があるとの見方を示した。
ウクライナ社会では、ロシア軍との本格的な戦闘が始まった1年目ぐらいまでは総じて戦意も高く、ゼレンスキー氏も領土奪還を何度も口にし、国民を鼓舞していた。しかし、戦争の長期化でウクライナでは多くの兵士や子供を含む民間人が犠牲になった。前線から訓練不足の若手兵士が大量に脱走しており、継戦能力が揺らいできた。
一方で、ゼレンスキー氏の「武力での領土奪還困難」との発言は決して本人だけの主張ではない。厭戦機運が広がる国民の声を反映している。シンクタンク、キーウ国際社会学研究所が定期的に行っている世論調査によれば、「ウクライナはいかなる状況においても領土を手放すべきではない」とする戦闘継続派の市民が侵攻直後は8割以上いたものの、23年夏ぐらいから減り始め、直近の24年11月の調査では58%にとどまっている。その代わり、平和達成のために「領土の一部を放棄する」との選択肢を選ぶ国民の声が増え、直近では32%に増えている。
さらに、安全保障の形が結ばれなくても停戦を早期に実現すべきとの意見や、大規模侵攻の22年2月前にロシアが支配していたクリミア半島やドンバス地域の領土は一時的に諦めても良いとする見解も増えてきている。
ウクライナ国民の多くは長引く戦争に苦悩し、家族や友人の死に深い悲しみを抱え、疲弊している。ゼレンスキー氏の「武力での奪還困難」の発言の真意は、「領土」では譲歩する代わり、「強力な安全保障の形」を構築するための方策なのだろう。
ウクライナ軍は昨年8月からウクライナ領と接するロシアのクルスク州に越境攻撃し、一部の地域を掌握し続けている。ロシアが支配するウクライナの領土は、ウクライナ国土の約2割にあたる10万平方キロメートル。対して、ウクライナが露クルスク州で維持する領土はその250分の1の約400キロメートル程度とみられる。
ゼレンスキー氏はロシア側に、クルスク州とウクライナ東部・南部のロシア支配地域の交換を提案したが、ロシア大統領府のペスコフ報道官は「不可能だ。今後も議論しない」と一蹴した。
もし、停戦が成立すれば、ウクライナ軍とロシア軍が向き合う前線はこのまま固定化し、事実上の「国境」になる可能性もある。朝鮮半島の北緯38度線の状況や、日本の北方領土問題を見れば、ゼレンスキー氏がロシアの支配地を外交交渉で取り戻すことは、相当に困難で、解決まで長い年月を有するとの指摘は的を射ている。
一方で、力による一方的な現状変更を許せば、21世紀の国際秩序は領土拡張を目論む独裁的な為政者によって損なわれるリスクが高まる。日本も含めた欧米諸国は決して、ウクライナ側の領土要求と、プーチン政権に圧力を加える姿勢へのはしごを外すべきではないだろう。
③停戦監視の枠組みをどうするのか
米国のピート・ヘグセス国防長官は先のドイツでの演説で、「接触戦に強力な国際監視が必要だ」とも述べた。しかし、停戦協定のような仕組みが成立した後、前線で戦闘が停止されているかどうかをチェックする枠組みはまだほとんど議論されていないのが現状だ。
トランプ政権や欧州各国が想定する「欧州軍」はロシアからの攻撃を抑止するためにウクライナに駐留するのであって、停戦監視団のような位置づけにはならない。結果的に戦闘を抑止する役割を担ったとしても、ロシア軍にしてみれば中立の立場には映らず、「外国勢の敵軍」とみなされ、攻撃目標になるだろう。
戦闘が激化しているので正確な距離は不確定だが、ウクライナとロシアの前線の距離は1000キロメートル以上にもなると目されている。これは14年、ミンスク合意が結ばれた際に、ウクライナと東部ドンバス地域を分ける前線の2倍以上の長さになる。接触戦の監視で、各地にチェックポイントを設ければ、相当な兵力が必要となるはずだ。
さらに、今回の戦争はドローン兵器による攻撃が主流となっている。ロシア・ウクライナ双方が今、ドローンによる越境攻撃を完全に防げていない中で、国際監視団が停戦違反になる越境ドローン攻撃をどのように抑止するのかにも疑問が残る。
現代戦はサイバー空間での攻撃も含むハイブリッド戦争だ。サイバーセキュリティへの確保のような「非対称戦」への対処も求められるだろう。原子力発電所やダムなどへのサイバーテロにも警戒しなくてはならない。
14年の戦闘で結ばれたミンスク合意では、欧州安全保障協力機構(OSCE)が監視する停戦、接触戦からの重火器の相互撤退などが項目に含まれ、戦争を緩和するとして合理的な仕組みとして期待された。しかし、この仕組みは強力な戦闘停止メカニズムとはならず、8年後のロシア軍の大規模侵攻を招いた。この教訓を活かさなくてはならない。