2024年11月22日(金)

パラアスリート~越えてきた壁の数だけ強くなれた

2014年3月13日

 たまたま「陸上部員が少ない」と耳にしたことがキッカケだった。バスケットボール部も考えたがパスのスピードが中学生より格段に速いために断念。それじゃ何をやろうか? と考えていたときに陸上部のことを聞いたのである。

大学のトレーニングルームにて

 これが小西の人生のターニングポイントとなった。

 「受験勉強で太っていたこともあって、痩せたいという思いもあったんです(笑)。もともと走り込みには自信がありましたし、ラインが見えれば走れると思ったんです。やってみたら思った通りシンプルな練習なので走れました」

 最初の大会では100mと1500mに出場したが、顧問の勧めや短距離に男子部員が一人しかいないという理由から「じゃ短距離にしよう」と安易な気持ちで種目を選んだ。

 「だから、僕と陸上の短距離の出合いなんてたいしたことないんですよ(笑)」

 それが後年日本を代表する選手になっていくのだから、人生どこにチャンスが眠っているのかなどわかるはずもない。

 「高校時代はほとんど部活をやりに学校に行っているようなものでした。肉離れなど怪我もありましたが、何もハンデを感じないで普通に楽しく部活をやっていました。最初の頃はどこが楽しいのかと思っていたんですが、続けていくうちに競技の面白さがわかってきたんです」

 「僕が個人で出場したのは100mと200m。リレーは400mと400×4のマイルリレーなどでその時のメンバーの状態によって出ていました」

大学時代、障害者の大会に出場するも……

 小西自身にあまり視覚障害という不自由さが感じられなかったため大学進学に関しても特別な進路選択は考えていなかったところ、小西の将来を考えた両親から「筑波技術大」を勧められた。筑波技術大とは聴覚障害者と視覚障害者を受け入れる日本で唯一の高等教育機関として設立された国立大学だ。

 小西はその短期大学の理学療法学専攻に入学した。

 「そのような環境で、“自分は視覚障害者なんだ”と大学に入って初めて自覚が生まれました。先生方も手厚くサポートしてくれたんです」

 自己紹介で陸上競技をやっていたと伝えたところ「障害者の大会があるから」と先生方に勧められるままに出場した。


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