『黄斑ジストロフィー』とは、黄斑部の網膜、網膜色素上皮、脈絡膜などが徐々に変性萎縮に陥る病気である。
「僕の場合は真ん中を中心に視野の欠損がまだら状になっていて、周辺部は比較的保たれています。視野欠損なので会話をしているときに視線がずれてしまうので、それを計算して視線を送るようにはしているんですが、しっかり相手を見ようとすると少しずれてしまうんです。それを理解されていない方は『おいおいどこを見てるんだよ』と思われてしまうかもしれませんね」
視力が極端に落ちてからも友達とはよく遊んだ。サッカークラブはやめたが、身体を動かしたくて空手を始めた。それも防具をつけたフルコンタクトの空手だった。
また、教室では黒板を望遠鏡で見る以外に不自由を感じたことはなかった。いじめに遭うこともなく、誰からも特別扱いされずに楽しい小学生時代を過ごしたようだ。
「スラムダンク」に憧れ、中学時代はバスケ部に
中学進学時に盲学校に通うという選択肢もあったが、同じ小学校から同級生が多数進学するため普通中学でも十分に通えると地元の公立中学校を選んだ。
小西は当時流行りだった「スラムダンク」に憧れバスケットボール部に入った。やれるかどうかという不安よりも「やりたい」という気持ちが勝ったようだ。
「初めの頃はボールが固いので正直怖いという気持ちもありましたが、それでも人並みにはできていたのかなと思います。ボールを弾いちゃたりすることもあったんですが、今考えればよくやっていたなぁと。控え選手からですが試合にも出させてもらっていました」
「同窓会でよく、『あれ、目悪かったんだっけ?』と言われます」と小西が言うように、中学時代の友人たちに、小西の目が悪いという印象はないようだ。それだけ自然に生活が出来ていたということだろう。望遠鏡で黒板を見たり、ノートを書いてもらったり、駅で切符を買ってもらうこともあるが、普段の生活では周囲と比べてあまり不自由さを感じさせなかったのだろう。
ただ試験だけは個別対応だった。たとえば国語のようにしっかり読んでから回答するような教科は別の教室で10分間試験時間を延長するなどして行われた。
陸上との出合い
競技の面白さを感じるように
陸上競技との出合いは高校に入学してからだ。