陸上を再開 自己ベストを更新
筑波技術大に戻ってまず始めたことは2年間で増えてしまった体重を落とすため7月の大会に向けてダイエットすることだった。
「太っていて良いタイムなんか出るわけがないと思っていたんです。それでも大会を目標にして身体を作りました。練習中すぐに息が切れるし、吐きそうにもなるし……、それでも7月の大会で100m12秒31というタイムが出て、『えっ!? この身体でこのタイムが出るんや~』と衝撃を受けたんです。高校時代に部活でガンガン走っていたときと『大してかわらへんな』と。練習していないこの身体で走れるんだから、まだまだ自分には伸び代があるぞ、なんて思いました」
意を決して再入学したのだから、可能な限りチャレンジしようと大学内で活動しているブラインドサッカーを始めたところ、翌2011年国際視覚障害者スポーツ連盟(IBSA)が運営する国際総合競技大会である「IBSA世界選手権大会」の日本代表に選手された。
その反面、小西には陸上への強い思いがあった。そして同年9月開催のジャパンパラリンピックにおいて人生で初めて100m12秒の壁を越えた。記録は11秒83。
「毎年テーマを決めて取り組んできました。2010年は基礎体力向上とダイエット。2011年は体幹トレーニングをしっかり積むこと、2012年は筋力をパワーアップさせるというように。でもその年は故障続きで最低限の練習しかできなかったんです。だから2013年は11秒8台で走れればいいというくらいに思っていました」
しかし、その2013年の夏に自己ベストを更新する11秒66が出た。それも試合会場に向かう電車が事故で遅れた上に、小西のコースには水が撒かれていた。さらに、遅れたためにウォーミングも不十分なまま炎天下の中で走ったにもかかわらずである。
アスリートはけっして手を抜かない。小西もどんなコンディションであろうと懸命に走ることだけに意を注いだ結果だ。
その後オーバーワークで最悪に近いコンディションで臨んだ大会でも11秒78という自己セカンドベストを記録し、この先まだ伸びる可能性があると確信した。
ちょうどその頃に2020年の東京オリンピック・パラリンピックの開催が決定し、小西自身も卒業後、本格的なアスリートを目指すことを決意する。