2024年11月23日(土)

中国メディアは何を報じているか

2014年3月17日

【解説】

 湖南省衡陽市の選挙違反事件は、一地方の市代議員の贈賄事件に過ぎないが、中国の人民代表大会制度を揺るがす程の出来事だった。程度と規模に止まらず、その代議員選出のプロセスが贈収賄を引き起こす汚職の温床であることを露呈した。このニュースは習近平主席を激怒させ、会議でわざわざ時間を割いて問題が指摘され、7時のニュースでも取り上げられて問題の深刻さが指摘された。また、開催中の両会でも傅莹報道官が記者会見で「深刻な事件であり、影響も劣悪であり、人民代表大会制度が作られてから最も深刻な選挙を台無しにした事件だ」と述べた。

 しかし、口で言うほど衡陽市の選挙違反が中国全体の人民代表大会の選挙制度の問題として深刻に受け取られ、教訓が汲み取られ、対処がなされているとは言い難い。日本のように連日報道されるほどの騒ぎにはなっていないし、辞職した者たちが刑事告訴された形跡もない。むしろ、政治的な激震を回避すべく穏便にすまされるのではないかという感さえもする。

人民代表大会制度の改革から着手されるべき

 そもそも中国国民が衡陽市の選挙違反を耳にしたところでその汚職の程度や規模が驚くべきものだと思う国民は少なかっただろう。多くの人が考えたであろうことは、そんなことはどこでも行われており、衡陽のケースは決して例外的でないのかもしれない。

 中央はもちろん、湖南でさえも衡陽のケースが例外的で大部分の場所、代議員は清廉潔白で人民代表大会制度は正常に機能しているというフィクション維持に腐心している。そのゆえ衡陽市でのケースが糾弾されてその責任が問われたものの、同じようなケースが全国や湖南省でなかったかどうかを徹底的に調査することにはなっておらず、その必要性が認識される様子もない。共産党の執政、政権安定に固執するがゆえに汚職が人民代表大会制度という制度の構造にまで及んでいたことを認められないのだ。

 何かと話題を振りまくものいう評論家、鄧聿文(トウ・イツブン)氏は、最近発表した論評の中で中国のガバナンス近代化は人民代表大会制度の改革から着手されるべきだ、と論じている。民衆を代表し、民主的な法治を体現する場として制度設計されたはずの人民代表大会制度が権力と利益を金銭で取引する場と化したことを露呈させた衡陽の選挙汚職は中国政治の構造的矛盾を示した氷山の一角に過ぎないだろう。


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