情報と知識の共有が的確な判断に結びついた好例
ではどうすればいいのか。そのヒントとなる二つの対照的な事例がある。
一つは1999年3月に起きた能登半島沖の北朝鮮工作船事件だ。実はその前年の8月、北朝鮮が弾道ミサイル「テポドン1」を発射し、ミサイルが初めて日本列島を飛び越えて三陸沖の太平洋に着弾した。しかし事前に発射の兆候を示す情報を得ていたにもかかわらず、防衛庁(当時)の情報伝達は混乱し、政府がその事実を公表するのは、10時間余りも経過してからだった。
この直後に防衛庁長官に就任した野呂田芳成氏は、同庁の情報伝達と意思決定システムを憂慮し、99年1月、庁内に「重要事態対応会議」を設置した。会議は長官が主宰し、毎月上旬に開かれ、内局幹部をはじめ、陸海空幕僚監部から多くの幹部自衛官が参加、「原子力発電所など重要施設の警備」、「北朝鮮工作船の領海侵入事案」などについて、警察や海上保安庁との連携、自衛隊の行動と権限などを議論した。
まさにその直後に発生したのが工作船事件で、刻々と事態が緊迫の度を増す中で、野呂田長官が間髪を入れずに、自衛隊に海上警備行動(海警行動)を発令したことに、当時、庁内で記者として取材していた筆者は、野呂田氏の胆力に驚かされた記憶がある。後日、対応会議で議論していたことが種明かしされたが、これこそが政治が軍事を統制するシビリアンコントロールを担保する手立てではないだろうか。
野呂田氏は政界を退く際、「防衛庁に重要事態対応会議を作って、制服組と事務方が熱心に議論し、情報を共有していた。その直後の能登沖の事件で、勉強した通りになったのが印象深い」と振り返っている。しかしトップが交代し、対応会議は消滅してしまった。
失敗事例となった2度目の海警行動発令
工作船事件が「明」とすれば、以下に記述する中国潜水艦の領海侵犯事件は「暗」といっていい。2004年11月、中国海軍の漢級原子力潜水艦が、沖縄・宮古島付近の領海内を、国際法に違反し、潜没したまま航行するという悪質な主権侵害事件が発生した。
政府は1996年、活発化する中国海軍の動きに対応するため、領海内を潜航する国籍不明の潜水艦に迅速に対応するため、閣議決定を経ずに、首相の判断で海警行動が発令できるよう手続きを簡略化していた。事件当時、海上自衛隊は事前に潜水艦の行動を探知し、追尾していたが、海警行動が発令されたのは領海侵犯から2時間40分も過ぎた後で、潜水艦は2時間にわたって領海内を潜航し、とっくに領海外に出てしまっていた。
当時を知る自衛隊幹部のOBは「海上保安庁を所管する国土交通省と防衛庁との調整に手間取り、防衛長官から官邸への連絡に時間がかかってしまった」と振り返る。
この事例は、たとえ防衛省内で情報を共有していたとしても、政府内の関係機関を含めて事前に情報や知識を共有しておかなければ、軍事行動のような専門性の高い内容を理解するのには時間がかかり、急ぐ場合には間に合わないという典型だろう。