いまだ能登には「元通り」とは言い難い景色が広がっている。このまちをどう復旧・復興させていくのかは、本格的な人口減少社会に入った日本の震災対応の試金石になるだろう。
「今の能登は、命の危険にさらされた段階から、生活を元に戻していく過渡期にあり、それぞれの段階ではやるべきことが明確に異なります」
関西学院大学建築学部教授の山崎亮氏はこう話す。同氏は住民自らが参加して行うコミュニティデザインによるまちづくりを推進しており、「復興を考える上で重要なポイントは三つある」と指摘する。
一つ目は「自助と共助のバランスを壊さないこと」だ。
平時でも有事でも、人間社会には困っている人を余裕のある人が助けるという関係性がある。災害時には命の危険がある人があふれるため、行政はもちろん、警察・消防・自衛隊・医療関係者など、専門職が中心になって助けに行くことになる。だが、その次の段階では、自分たちで何とかしようという動きを促していくことが重要だという。
輪島市内で15年間、バー「Seven Isles」を営む田辺和久さん(49歳)は「今の輪島は、未来を真剣に考えている人と、〝施される〟ことに慣れて自分の足で立てなくなってしまった人に二極化しています」と地元の現状に厳しい目を向ける。バーに来店していた輪島市在住の男性(30代)も「〝タダでもらえる〟ことが当たり前になり、感覚がマヒしている人もいます。各地からの善意で届いた物資を、子どもが選り好みする姿を見るとなんとも言えない気持ちになります」と話した。
外部からの支援を自助につなげているのは輪島市にある重蔵神社禰宜の能門亜由子さん(48歳)だ。「これからはボランティアなどのプロ集団もまちからいなくなりますから、自分たちで何とか復興していくしかありません」と危機感を募らせる。
能門さんは発災直後から自主的に炊き出しを行うなど、在宅避難者の支援にも注力してきたが、「経験者の行動は素人とは全く違うと痛感しました。プロに教わったことを今度は自分たちが継承していきたいと思っています」と話す。今の能登には、物資ばかりではなく、「自助」と「共助」のバランスを保つことができる支援が求められている。
二つ目は「自分たちのまちをどうしたいのかという〝問い〟を立て続け、解決策を見出すこと」だ。
震災後は、復興を考えるワークショップや検討会が数多く開催される。だが、まちの課題を列挙し、解決策となるアイデアを付箋を貼って出していくだけでは、本当の解決策にはつながらない。
「『困りごとはこれで解決』というスキル的なアイデアは、短期的には効果があるかもしれませんが、長期的には持続可能性が低い、あるいは陳腐化する場合が多い。