「こういう運命だったと思うしかない」
輪島市町野町に住んでいた小池宏さん(70歳)は小誌の取材にこう答えた。1月の地震で自宅は全壊。9月の豪雨災害時は自宅周辺一帯が湖のようになったという。
「危険区域に指定され、ここに戻ることはできません。まちから人が居なくなって、政も、祭りも、葬儀すらできない。市外に避難した人は、もう戻ってこないでしょうね……」
能登半島地震から1年。
小誌取材班は昨年11月と12月の2回、能登の現場を歩いた。
現地では今もなお、土砂崩れによって山肌が見えたままの箇所があったほか、瓦礫で塞がれた道路や倒壊した家屋も多数残っていた。
爪痕が残る一方、水道や電気、ガスといったライフラインはほとんどの地域で復旧し、スーパーやコンビニ、飲食店も徐々に営業を再開している。人々の生活は一歩ずつだが、元に戻りつつある。
ただ、この現状をどう見るかは同じ「被災者」でも千差万別であり、復旧・復興のあり方を一律に示すことが困難であると痛感した。
だが、それでも我々メディアにできること、やるべきことがある。
それは、被災者の本音を伝えること、そして、今回の震災を今後にどう生かしていくべきか、その方向性を提示することだ。
日本は今年で発災から30年を迎える阪神・淡路大震災や東日本大震災など、これまで幾多の自然災害を経験し、様々な教訓を得てきた。にもかかわらず、被災地では「繰り返される光景」がある。
発生後の混乱と行き届かない行政サービス、プライバシーもない〝雑魚寝〟状態の避難所、仮設住宅での孤独死、ボランティアの受け入れ是非をめぐる対立、災害関連死──。
なぜ、同じような光景は繰り返され、こうした〝宿題〟が積み残され続けるのか。本特集では、能登の現在地を記録するとともに、本格的な人口減少時代を迎える中、災害大国・日本の震災復興に必要な視点、改善すべき方向性を提示したい。