2025年4月11日(金)

世界の記述

2025年4月2日

 被告ルペンの側が、「裁判の政治的利用」だとする根拠だ。つまり金銭倫理を裁くと見せて、被選挙権を断つ。一般の人であれば、被選挙権のはく奪は公民としての一部の権利の停止で済ませられるが、今回の場合ルペンの「政治生命」を断つということを意味する。彼女にとって次回の大統領選挙は最後の大統領挑戦にもなるからだ。

 ルペンは現在大統領レースのトップを走る。その政治家とその政党そのものの命運を司法が断つということになれば、それは司法権が政治の生殺与奪を握ることになる。ルペン側が今回の判決を「デモクラシーの侵害」と指弾するのはそうした根拠からだ。

 ルペンの公金横領をめぐる判決が、有力大統領候補の命運を断ち、フランス政治の流れを決定するということになれば、投票ではなく、司法権を利用した権威主義体制の支配構造と同じではないか。国民連合という排外主義政党の排除の手段が、強権発動であるとすれば、「デモクラシーのパラドックス」だ。これはこの勢力がそれほど大きくなっているという証でもある。

いかにデモクラシーを発展させていくのか

 マクロン政権の独断政治にフランス国民は批判的だ。それが最近の与党人気の低迷の背景にある。

 今回の判決。今後ひと悶着も二悶着もあるだろう。マクロンの後ろ盾中道政治家であるバイル首相は、この判決に接してその直後「困惑された」と語った。ロラン・ヴォキエ共和党議員団代表は、「国民の議論が最終的な結論を出すだろう」と語った。オランド社会党元大統領は、この判決を支持する発言をしたが、有力政治家たちも今後の動きには慎重だ。

 かつて田中角栄首相がロッキード疑惑で権力を失った。しかし自民党政治は生き残った。与党と野党の立場は違うが、倫理を問われた田中角栄という政治家は表舞台には立てなくなったが、「影の権力者」として財力と発言力を維持し、いわば院政を敷いた。

 加えて、自民党政権は倒れたわけではなかった。日本では下った判決を表向き遵守することが、順法精神だ。しかし実態の変化には消極的だ。

 デモクラシーの制度は市民の議論を通した判断の結晶だ。したがって司法が政治の帰趨を決定することは市民不在の体制だ。ヴォキエ共和党党首の発言やエニヌ・ボーモンの一市民の言葉に代表されるように、「今後議論していかねばならない」という意見は多いと思う。つまりこの判決が決定的なものではないという見方も結構あるだろう。

 かつてアテネとスパルタの間での戦争、ペロポネソス戦争で戦い敗れた後、アテネ市民をひきつれたペリクレスが、負けたとはいえ、この戦争がいかに自分たちにとって正統性のある戦争であったのかを力説したことがある。ルペンの公金横領を弁護するつもりは全くないが、市民の権利と自由を保障するための普遍的な理念を言葉で語り、説得すること、デモクラシーの原点だ。それだけに常に危うさを抱えている。

 デモクラシーとは最善を求めて、多大の時間的物理的コストを費やしながら揺れているものだ。常に安定していることがデモクラシーではない。

 しかし極右排外主義ナショナリストたちの欧州での跳梁跋扈はデモクラシーの危機であることに変わりはない。政治・社会の正否を判断するのは司法の権限であるが、政府や特定の政治勢力が司法権力を使って政治を支配することになると、それは独裁制への道でもある。

 いかにデモクラシーをマネージしていくのか、あるいは発展させていくのか。デモクラシーとは理想に向けた高い意識に支えられた緊張感を持った戦いだ。それが今後の顛末のカギとなる。

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