フランス政治が昨年3回も首相を交代させるという異常事態となっている。台風の目となっているのは1月に死亡したジャン・マリ・ルペンが設立した極右政党国民戦線FN/国民連合RN(党名変更)。今やキングメーカーにまでになっている。

FN/RNは創立者ルペンの三女マリーヌ・ルペンが党首になって以来、その勢力を倍増させてきた。そして牙を隠したもう一つの排外主義の顔がそこにある。
三度の内閣交代劇の背景
マクロン大統領が2024年1月、側近の第五共和制史上最年少の34歳のガブリエル・アタルを首班に命じた。それは極右の圧力を受けつつ移民・外国人取り締まり強化法を成立させたエリザベート・ボルヌ前内閣が息切れし、人心一新の必要を大統領が痛感したからだ。
昨年6月、国民議会選挙後には2カ月も大統領は首班指名ができなかった。マクロン大統領は社会党・中道・保守派の首相指名に失敗、最後にマリーヌ・ルペンの顔色をうかがう羽目になった。それでもルペンはマクロンの人選を三度拒否し、ようやく成立したのが保守派ミシェル・バルニエ政府だった。
しかしこの政府も、12月極左と極右の政府不信任が通過し、倒壊、3カ月ももたなかった。そしてマクロンに近い中道派古参の元法務大臣フランソワ・バイルー政府が成立したが、次年度予算成立と移民外国人取り締まりと治安強化で厳しい船出となっている。
マリーヌ・ルペン率いる国民連合(民族結集RN)は、今や単独政党としてはフランスで第1党だ。17年と22年のいずれの大統領選挙でもマリーヌ・ルペンは第一回投票で首位2人の候補者で争われる決選投票に名乗りを上げている。得票率は33.9%と41.5%と着実に伸ばす。
父親が立ち上げた極右政党を、政権運営を左右する存在に引き上げたジャン・マリ・ルペンの末娘、マリーヌ。どのような人物で、いかなる戦略がなされてきたのか。