2025年12月5日(金)

世界の記述

2025年1月30日

スタイリッシュな「救世主」として党首に

 21世紀に入った2002年、極右の勢力拡大に大きな懸念を抱き、フランス政治社会の右傾化を読み取った保守派の強硬派サルコジ内相・大統領はルペンの封じ込めに躍起となった。彼は移民・治安政策でFNのお株を奪うような強硬政策を繰り出していく。

 マリーヌ・ルペンが頭角を現したのは、こうした党の危急存亡の局面においてであった。マリーヌは、これまでと違って見栄えする党の顔として一躍脚光を浴びるようになる。2010年州議会選挙のキャンペーンの時には、工場労働者たちにビラを配るマリーヌの姿があった。

 白いパンツに黒のシェープコートを羽織って長い髪をなびかせたスタイリッシュなマリーヌの姿があった。一見ロックスターのような風貌だった。マリーヌ自身のイメージ・チェンジだった。

 そして2011年1月、「国民戦線(FN)」の第14回党大会で、彼女(当時副党首、42歳)は3分の2以上の支持票による圧倒的勝利を収め、新党首に就任した。この党首選挙は、父ルペンが前年11月に正式な引退発表を受けてのことであった。

 このマリーヌの時代になり、経済政策に重点を置く父の時代の「脱悪魔化」はさらに進み、さらに次世代の「脱悪魔化」が本格的に進んだ。「信頼性」と「正常(ノーマル)化」の追求だった。とくにカトリックを母体とする政党であるにもかかわらず、2009年から「ライシテ(世俗化・政教分離)」を提唱したことは画期的な路線変更を意味した。

 これは20世紀初頭まだカトリック勢力が政治・社会分野で大きな時代に、政治にカトリックが表向き関与しないという共和主義原則の理念の実現だった。現在は多文化共生主義の論理と考えられがちだが、ルペンたちはカトリックこそがライシテを尊重して今日まで共和主義を支えてきたのに、イスラムたちは社会に宗教色を持ちこむと主張した。イスラム女性のスカーフやマントの公式の場での着用、道路での集団で座り込んで行う礼拝=路上集団祈祷を問題視したのである。

 「彼らこそ共和主義の敵だ」「従来の論理からは排外主義の極右はアウトサイダーだったが、自分たちこそ共和主義の擁護者である。その敵はイスラム教徒だ」という論法だ。これは外国人による治安の脅威に直面する多くの国民に説得力があった。父の時代の15%政党が30%政党になった真の理由だ。

 「攻撃的な獅子」の時代から離れて「尊敬される演説」を心がけ、次第に支持者を増やしていった。13年2月の『ルモンド』の記事では、「FNは危険か否か」という質問に対して、賛否はいずれも47%で拮抗した。1994年から2006年にかけては「賛成(FN=危険)」が70%以上であったが、07年以後「反対(FN=危険ではない)」が次第に増えてきて、10年には42%になっていた。

 そしてその後のFNの躍進は目覚ましたかった。2012年大統領選挙第一回投票でこれまでで同党候補者としては最高の17.9%の支持率を得た後、2014年3月市町村議会選挙では全国11市町村会の議長を獲得した。同年5月、欧州議会選挙では25%の得票率を獲得し、マリーヌは単独政党として、「FNは第1党になった」と豪語した。

大統領選挙の台風の目となるルペン

 2017年4月・5月に行われた仏大統領選挙で超党派の中道グループ「前進!」を率いたエマヌエル・マクロンが大統領に選出された。マクロンは39歳、フランス史上最も若い大統領だ。決選投票で同氏は約66%の支持率で、マリーヌ・ルペン候補に圧勝した。

 しかし何といってもこの大統領選挙の主役はFNのルぺン候補だった。その前々年来各種世論調査はルペンが決選投票に勝ち残ると予想してきたからだった。

 したがって有権者は第一回投票から、決選投票でルペン候補に勝つことができる候補を選ばねばならなかった。フランス国民の過半数はまだ、ルペンを排外主義者・共和国のアウトサイダーと考えており、その勢力拡大を懸念する。つまり彼女を当選させないためには、既成政党が団結して候補者を一本化しなければならなくなった。狭い選択肢の投票を有権者は迫ったのだ。

 第一回投票前に、「自分が好きな人に投票する」と答えた人は約半分にとどまった。投票は最初から多くのフランス国民にはフラストレーションがたまる「消極的な選択」となった。

 FN陣営の選挙風景は筆者がこの政党を注目し始めた頃とは様変わりだった。選挙期間の最後の休日の午後の会場では、男女カップルがジーンズ姿やラフな格好の支持者の前で、マリーヌは公約を声高に説明するが、3分に1回は「民主主義」「共和主義」を連呼した。

 減税や消費者保護、中小企業の活性化、無医村をなくすことなど庶民受けする公約だ。そして弱者を苦しめているのは国際金融資本であり、リベラリズムの権化である欧州連合(EU)とその象徴である統一通貨ユーロ、そしてそれを担うエリートたちだと訴えた。

 その一方で働きながら3人の子供を育てたフェミニストとして女性の人権を擁護すると主張し、その返す刀で女性蔑視のイスラム教徒を痛罵、イスラム主義こそ、テロの温床であり、共和主義の敵だと批判した。

 父ルペン時代の「働く者の味方」=「ナショナリスト社会福祉政党化」に加えて、「共和主義政党化」の成功だった。


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