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2025年5月28日

 2010年に実写映画化された『ソラニン』(小学館)をはじめ、累計発行部数630万部を超える『おやすみプンプン』(同)、24年に劇場版アニメが公開され話題となった『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(同)など、数々のヒット作品を世に送り出しているマンガ家・浅野いにお。1998年のデビューから27年、連載作や短編集も合わせると発表作品は数知れず。マンガ業界を取り巻く環境や世の中が激動する中、浅野が描く日本のマンガの未来とは──。

 リアルで美しい背景が緻密に描き込まれる作品で知られる浅野は、幼い頃から、絵を描くことや工作することが得意だった。

 「小学1年生の時、学校の絵画コンテストで金賞をとりました。テーマは『虫』で、僕はクモを描きました。胴体の部分に縞模様をつけていろいろなクモを紙面いっぱいに、びっしり描いたんです。この構図を評価されたことで、幼いながらに自分の絵のスタイルはこれなんだと、手ごたえを感じたのを覚えています」

浅野いにお(Inio Asano)マンガ家 1980年生まれ、茨城県出身。1998年、高校2年生のときにデビュー。代表作に『ソラニン』『おやすみプンプン』『デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション』(小学館)など。現在『ビッグコミックスペリオール』(同)で『MU JINA INTO THE DEEP』連載中。( 写真・中村 治以下同)

 

 齢7歳にして自分の絵の作風を掴んだ浅野が小学生時代に最初にハマったのは、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載された『ハイスクール!奇面組』だった。同作は1985年から2年間、テレビでも放映され、おニャン子クラブの派生ユニットが歌った主題歌が話題になったことを記憶している読者も多いだろう。

 「『奇面組』は僕の原点です。もちろん、ジャンプ黄金期の『ドラゴンボール』や漫☆画太郎さんの作品をはじめ、『コロコロコミック』(小学館)なども読んでいました。ただ、年の離れた姉や、人間の内面や生き様を描いた私小説風マンガに詳しい友人の影響もあり、中高生時代は自分より少し上の世代向けのギャグマンガを好んで読んでいました。今も自分の作品のどこかに笑える要素が入っているのは、この頃の影響が大きいと思います」

 高校時代、浅野は将来の進路を考える中で、ひょんなことからマンガ家への道を歩み始めることになる。

 「自分の性格上、いわゆる『会社員』は難しいと感じていました。ただ、絵を描くことも、マンガを読むことも好きでした。だから、自分の絵がどのくらい通用するのか、興味本位の『腕試し』のつもりで小学館に原稿を持ち込んでみたんです」

 すると、その直後に連載作家の原稿が間に合わず、空きページが発生。急遽、浅野の作品が掲載されることになったのだ。当時は高校2年生、持ち込みから1週間という異例のスピードデビューだった。

「マンガは商品だから」
忘れられない編集者の言葉

 輝かしいスタートを切ったかに見える浅野だが、マンガ家として道のりは決して順風満帆ではなかった。

 「僕の初期の作品は90年代に流行ったニヒルな笑いのあるギャグマンガの影響を色濃く受けていました。ただ、デビューした2000年代にはそうした〝不条理〟マンガはすでに下火になっていて、当時の編集担当者からも『これは受け入れられない』と突き返されてしまいました」

 自分が描きたいものと、世の中に受け入れられるものとの乖離を認識しながらも、浅野はそこに固執しすぎることなく、自分の得意なジャンルを模索していった。

 「担当編集者とジャンルを横断したアイデアを出し合う中で、20代の若者たちの葛藤や苦悩のような『モラトリアム』を描いてみたら、一番リアクションが良かったんです。自分で意図していたわけではありませんが、結果的にそれが受け入れられたなら、この路線でしばらくやってみようと思いました」


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