自身の代表作でもある夢を追う若者の葛藤を描いた『ソラニン』もまさにこの路線変更によって生まれた作品だ。
なぜ、こうした変化を受け入れることができたのか。浅野は苦笑いしながらこう振り返る。
「どうしてもマンガで食べていきたいというより、僕の場合、『普通に働きたくない』という思いの方が強かったですね」
だが、その路線変更への挑戦が、浅野のマンガ家人生の〝分岐点〟になったことは間違いない。
「新人の時に担当編集者に言われて、今でも肝に銘じているのが『マンガは商品だから』という言葉です。
最初は『商売』という事実にショックを受けましたが、僕は『芸術家』ではなく『マンガ家』であって、最終的に単行本が流通して読者の手に届くというところにゴールがある。だからこそ、読者が求めるものを描くし、自分としては、その方向性の中で、より良いマンガを作るにはどうしたらいいかということを考えるようになっていきました」
壁を超える新たな技術と
〝逆算〟の思考
もともとギャグマンガ志望だった浅野にとってストーリー性のある作品を描くことは挑戦の連続だった。
「20代前半は、ストーリーマンガを大量に読み漁って、その〝構造〟まで研究しました。さらに、自らの人間関係を見つめ直したり、ニュースを見て時事問題に関心を持ったり、世の中のトレンドを把握することも心掛けていました」
そんな浅野に立ちはだかったのは〝偉大な先輩たち〟の存在だ。
「2000年くらいの段階で、アナログマンガの技術は、すでに上限まで達している状態でした。『バガボンド』の井上雄彦さんのように、とんでもなく絵が上手い作家さんたちがいる中で、同じ土俵で戦っても新人が追いつくことは一生できないと感じました」
そこで導入したのが、今や浅野作品に欠かせない「デジタル技術」だった。
「どん欲にデジタル要素を取り入れることによって、違う絵柄や新しい作風を発明する方が、新人としては未来があると考えました」
だが、当時はまだ原稿も紙が当たり前の時代。周囲にはデジタル化に〝拒絶反応〟を示す人も大勢いたが、浅野はその効果や必然性を証明することで、ネガティブな意見をポジティブなものに変えていった。
「第1段階として、自分の苦手な作業を効率化するためにデジタルツールを導入しました。影や柄を表現するスクリーントーンというシートを切り貼りする作業がとにかく苦手で……。これをデータ上で作れるようになったことで、圧倒的に作業時間が短縮されました」
次に手を着けたのが、背景にデジカメで撮影した写真の活用だった。
「マンガはフィクションなので、設定に必ず〝嘘〟があります。仮にゾンビのマンガを作るとして、背景を簡素化した表現にすると、それはあくまでも〝マンガの世界〟で嘘のままになる。でも、読者が〝リアルな街〟だと感じることができれば、ゾンビが出てきたときに、その説得力が増すんです。
僕の作品『おやすみプンプン』にもリアルな背景が欠かせませんでした。主人公のプンプンは人間ではなくデフォルメされた〝記号〟のような存在ですが、周りの登場人物は普通の人間で、一緒に小学校に通っている。主人公の存在を際立たせるためには密度の高い背景にすることが最も効果的でした」
現実ではありえない設定や世界観であっても、浅野は写真を巧みに使うことで単なるファンタジーで終わらせない演出に成功した。
「当時は『コラージュだ』と揶揄されたりもしましたが、デジタル世代のマンガの作り方として、僕は自然な流れだと思っています。どんな技術を使った作画であっても、作品コンセプトとして必然性があると証明できれば、『文句は言わせない』というスタンスで、積極的に新しいものを取り入れていきました」
